内閣不信任案

 

 野党党首として過ごした4年間は、政権運営について熟考するよい期間となった。
当時の英国は、「英国病」「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほどに衰退していた。戦後に始まった「ゆりかごから墓場まで」をうたう手厚い福祉政策により、人々の労働意欲は失われ、国に依存する体質は国民にしみついていた。1978年末から79年初めにかけて発生した、「不満の冬(Winter of Discontent)」と呼ばれる大規模ストにより、道路や下水道掃除などの公共サービスは機能せず、町には未回収のゴミが山積。あたりに異臭が立ちこめることもあった。
ストを行っていた各種労働組合は国民の権利をたてに力を増し、労働組合の支持で政権を握ったはずの労働党は、組合の存在により政権存続の危機を迎えようとしていた。もはや政府がコントロールできる域を越えている。このままでは国が立ち直れなくなる。マーガレットは内閣不信任案を突きつけ、1979年5月に総選挙が行われることが決まった。
マーガレットの選挙活動は、労働党ともこれまでの保守党とも違い、人々には新鮮だった。穏かな口調で、できるだけ難しい専門用語は使わず明快に。それでいて攻撃的かつ急進的に英国のあるべき姿を、そして自分の信念を繰り返し国民に訴えかけた。いつしか「信念の政治家」と呼ばれるようになっていた。
そうして人々が選んだのは、マーガレット・サッチャー率いる保守党。時代の流れを追い風に、英国初の女性首相がここに誕生したのである。
1979年5月4日。まもなく午後3時になろうとするころ、新首相はブルーの上品なスーツに身を包み、夫とともにバッキンガム宮殿へと赴き、エリザベス女王に謁見。その後、公用車に乗り込み、向かった先はダウンニング街10番地として知られる首相官邸だ。駆けつけた市民らの声援が響き、官邸前は熱気に包まれていた。女性首相として初めて10番地の住人になるマーガレットは、玄関前で右手を高く突き上げ、軽やかに振りながら、自信に満ちあふれた笑みで人々の視線に応えた。私なら必ず英国に栄光をもたらすことができる。沸き立つような興奮と、英国の未来を預かる者としての責任を強く意識したのだった。そしていよいよ今日から、英国を立て直す、本当の戦いが始まる――。(後編に続く)

 


1979年5月4日、初の女性首相として首相官邸に到着したマーガレット・サッチャー。© PA News

 

下院で起きた爆破事件


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 マーガレットが首相職へ向けて秒読み段階に入っていたとき、党首選で選挙運動の責任者として 勝利に多大な貢献を果たしたエアリー・ニーヴ=写真下=が殺害される事件が起きた。党内で北アイルランドを担当していたニーヴの車に、アイルランド民族解放軍 (IRAアイルランド共和軍の分派)によって爆弾が仕掛けられ、下院駐車場を出ようとした際に爆発したのだ。マーガレットに深い 悲しみと怒りをもたらした。


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