◆◆◆ 2度目の研究資料喪失 ◆◆◆

 

二風谷に移り住んで間もない1932(昭和7)年12月の深夜、診療所兼自宅として使っていた商店の倉庫の薪ストーブ煙突付近から突然火の手が上がった。気づいたコタンの人々が手に手にバケツを持ち、雪の塊をすくって駆けつけたものの、藁葺き屋根の木造家屋はあっという間に火に包まれる。マンローとチヨは着の身着のまま、ガウン姿の裸足で飛び出し、やっとの思いで難を逃れた。
だが、関東大震災で多くを失った経験のあるマンローは、これまでに蓄積してきたアイヌの研究資料と蔵書を再び失うことに耐えられず、燃え盛る家の中へ戻ろうとする。皆に抱きとめられ、家に戻ることは叶わなかったが、ショックのあまり狭心症の発作を起こし、雪の上に倒れ込んでしまう。その間にも火は木造家屋を焼き、短時間のうちに全ては灰燼に帰した。

マンローの診療鞄と、横浜で仕立てられたスーツ(写真:北海道大学提供)
68歳という年齢ながらも、新たな気持ちで再出発したばかり。研究資料を再び失ってしまうとは―なぜこんな目に遭うのかと、マンローは自分の運を呪う。だが、運命の女神はその後も手加減することなく、彼を翻弄し続けるのである。
確固とした証拠がある訳ではないものの、火事の原因は放火ではないかとマンローとチヨは考えた。堀辰雄の『美しい村』の「レエノルズ博士」に関する記述が批判的であることからも推測できるように、2人は全ての人々から愛されていた訳ではなかったようだ。
特に、アイヌ相手に商売をする和人たちは、マンローがアイヌに飲酒しないよう戒めることを日頃から忌々しく思っていたという。しかも、「アイヌの世話をする西洋人」ということで、常に奇異の目で見られていた。この事件は新聞でも取り上げられたが、そこでは意外なことに、「放火」事件の原因にはジョン・バチェラーとの対立が関係しているのではないかと示唆されている。
考古学者でもある宣教師バチェラーとの対立とは、マンローが1930(昭和5)年から翌年にかけて撮影した「熊送り」の記録フィルムを北海道大学で上映したことに端を発する。バチェラーは「この様に残酷野蛮な行事の記録映画を公開するなどというのは、一民族の恥をさらすようなものである。マンローはなんと心ないやり方をしたものか」と批判した。
これに対し、マンローは「(バチェラーは)長年アイヌコタンを伝道に歩いているはずなのに、アイヌの精神面については全く理解しようとせず、一方的にキリスト教をおしつけ、沢山入信者を増やしたことを自慢するが、それは決してアイヌ民族の『心』を理解したことにはならない。アイヌにはアイヌの信仰する神がある」と烈火のごとく怒ったという。

マンローを北海道へと誘った、ジョン・バチェラー(John Batchelor、1854~1944)=写真中央=だったが、「熊送り」の記録をめぐって、マンローと対立してしまう。
新聞のゴシップ並の推測に従うならば、こうした意見の相違が高じて、バチェラーが、自分が改宗させた信者を扇動し、マンローの集めたアイヌの記録を焼失させた、ということになるだろうか。
しかし、いくら2人が対立していたといえ、アイヌを思う気持ちには変わりがないはずである。貴重なアイヌの記録を台無しにするようなことがあったとは信じ難い。とはいうものの、放火か失火かをも含め、今となっては真相は藪の中である。
さらに、この火事は和人との溝を深めるきっかけともなってしまった。マンローに倉庫を貸していた家主は、同じ敷地内にあった自分の倉庫を類焼で丸ごと失ったことが原因だった。倉庫には酒、味噌、醤油、菓子雑貨類の商品がギッシリ詰まっていて、商店を営む家主としては大損害である。だがこの火事を放火と信じるマンローは、家主に賠償金を払おうとはしなかった。この確執は醜聞となって広がり、「賠償金が払えないから放火だと触れ回って責任を逃れようとしている」と陰口を叩かれた。そして、腹の虫が収まらなかった家主のせいで、後年マンローたちは大変な苦労を強いられることになるのである。

 

脈々と受け継がれる、研究への思い
今回の前・後編の掲載にあたり、次の関係機関には多大なるご協力をいただいた。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。また、マンローの思いがこうして受け継がれているのだと感じずにはいられなかった。

北海道大学 アイヌ・先住民研究センター www.cais.hokudai.ac.jp
◆2007年に北海道大学の共同教育研究施設として誕生。多文化が共存する社会において、とくにアイヌ・先住民に関する総合的・学際的研究に基づき、それらの互恵的共生に向けた提言を行うとともに、多様な文化の発展と地域社会の振興に寄与していくことを目的として設置された。

◆北海道大学アイヌ・先住民研究センターを中心とした研究グループによる「北方圏における人類生態史総合研究拠点」が、平成25年度日本学術振興会研究拠点形成事業「先端拠点形成型」に採択されたという。 国内の連携研究機関である東京大学総合研究博物館と琉球大学医学研究科と協力しつつ、海外の事業拠点機関であるアバディーン大学考古学部(連合王国)とアルバータ大学人類学部(カナダ)および連携機関であるオックスフォード大学東アジア考古学・芸術・文化センターと交流を重ねながら、北方圏における人類と環境との相関関係の歴史を解明するための領域横断型の研究拠点と若手研究者の育成を目指す。

沙流川歴史館 www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/html/saru0N.htm
◆北海道沙流郡平取町字二風谷に設立された施設。北海道に人が住み始めたのは紀元前2万年ころの旧石器時代という。沙流川(さるがわ)流域でも、集落が形成されていた。沙流川歴史館では、そうした歴史を学ぶことができるよう、町内で出土した約一万年前からの考古資料を公開しているほか、平取町の母なる川、沙流川の今と昔に関する展示などを行っている。なお、同地域内には、平取町二風谷アイヌ文化博物館などもある。

 

◆◆◆ 「コタンの先生」が得たつかの間の幸せ ◆◆◆

 


1938年、フランスの考古学・人類学者、ルロワ・ガーデン=写真左端=を二風谷に迎えた、マンロー夫妻(写真:北海道大学提供)
マンローの災難を知った多くの人々から見舞金や品物が彼の元に送られた。日本亜細亜協会、軽井沢避暑団、外人宣教師団や英国人類学会が手を差しのべてくれたほか、セリーグマン教授はロックフェラー財団から再度研究費がおりるように取り計らってくれたという。このことは、失意の中にあったマンローとチヨを大きく勇気づけたに違いない。
ほどなく、建設中だった診療所兼自宅も出来上がった。外から見ると2階建て、中は3階建てという立派なもので、書斎は火には絶対強い石造り。出窓が多くどことなくスコットランドを彷彿とさせるデザインには、マンローの好みが反映されているという。のちに北海道大学付属北方文化研究所分室となる建物の完成である。
無料で診療を受けられて薬ももらえ、子供には手作りのおいしいお菓子やパンまで配られるとあって、子供たちの手にひかれるようにしてコタンの大人たちも診療所を訪れ始めた。やがて治療を受けにくるだけではなく、仕事が暇になると他愛のないおしゃべりに集まるようになり、二風谷のマンロー邸は、コタンの人々のサロンとでも呼べる場所となった。
男たちは熊や鹿を射止めた際の昔の手柄話に花を咲かせ、時にはヤイシヤマ(情歌)を歌って聞かせたり、マンローやチヨも巻き込んで一緒にウポポ(伝統的なダンス)を踊ったりした。
また、2人はアイヌの伝統的な結婚式や葬式にも招待され、その貴重な風習を自ら体験する機会を得た。長老たちの信頼も得たマンローは、彼らの先祖伝来の様々なしきたりや儀式、病気にかかった時の「まじない」、薬草の使い方、狩りのための毒矢の扱い、鮭漁の方法など、様々なことを教えてもらい、それら全てを丹念にノートに書き写した。第二次世界大戦終結後、マンローの遺稿集として出版された『Ainu Creed and Cult』は、こうした聞き書きが編集されたものだが、本にまとめられたのはマンローの書き残したものの十何分の一に過ぎず、日の目をみないままの重要記録がいまだに眠っているという。
このように自分を信頼してくれる優しいコタンの人々が、なぜ貧しく気の毒な暮らしに追いやられ、和人たちから蔑まれなければいけないのか、マンローは憤った。人々が自らの歴史と誇りに目覚め、結核をはじめとする様々な病気を追い出し、健康で元気に働けるコタンを築くにはどうしたらいいのか。マンローはあれこれ考えをめぐらせる。稲作が難しいなら果樹栽培はどうか。リンゴ、梨、イチゴ、葡萄の苗を軽井沢や新潟から取り寄せ、実際に自分たちの庭で何年も試した。土壌や肥料の研究まで手がけたという。
そればかりか、将来は乳牛や羊の飼育をコタンに広げたらどうかともマンローは考えた。ワイン造りや、牧畜による酪農経営。もしも野菜や酪農が根付いたら、今度は沙流川の水を引き入れて一大スケートリンクを作り都会人を誘致してもいい。新鮮な食材を供給する大きなサナトリウムを作るのもいいかもしれない――。マンローの夢は広がった。

 

今も北海道の四季をみつめる 旧マンロー邸


1940年頃のマンロー邸。同邸の前に立つ、マンローの姿が認められる(写真:北海道大学提供)。右上の写真は、現在のマンロー邸(写真:沙流川歴史館提供)
◆1933年に完成した、木造3階建のマンロー邸。現在は北海道大学所有で「北海道大学文学部二風谷研究室」と呼ばれている。登録有形文化財(建造物)。

◆「マンサード」というスタイルの屋根、妻面屋根裏部の出窓などが特徴の洋館で、白い外観がまわりの景観に映える。

◆住所は、北海道沙流郡平取町字二風谷54-1。