◆◆◆ サイドビジネスの化石探し ◆◆◆

 

 父リチャードは、仕事の合間を縫って海岸に出ては化石を探して土産物として売り、家計の足しにしていた。当時のライム・リージスは富裕層が夏を過ごす海辺のリゾート地として栄えており、1792年にフランス革命戦争、ついでナポレオン戦争が起こってからは特に、国外で休暇を過ごすことをあきらめた人々が保養先にと押し寄せるようになっていた。
大博物時代を迎えていた英国では専門家でなくとも化石を所有することはファッションのひとつでもあり、地質学・古生物学の基礎が築かれつつあったこの時代、学者たちは研究の重要な手がかりとなる化石の発見に常に注目していた。しかし一般には、これらの化石は、聖書に描かれたノアの大洪水で死んだ生き物の名残だと考えられており、とぐろを巻いたアンモナイトの化石には「ヘビ石」、イカに似た生物ベレムナイトの化石には「悪魔の指」といった呼称がつけられていた。 また、「化石(fossil)」という名称はまだ確立されておらず、人々は不思議なもの、興味をそそるものという意味でこれらを「キュリオシティ(curiosity)」と呼んでいた。
 

 

化石って一体何?どうやってできる?
化石とは今から1万年以前の生物、あるいは足跡や巣穴、フンなど生物の生活していた様子が地層に埋没して自然状態で保存されたもの。そのまま形が残っているものだけでなく、化石燃料と呼ばれるようにプランクトンや草木が変質して原油になったものや、植物が石炭や鉱物に変化したものなども含まれる。


デ・ラ・ビーチ卿が、1830年にメアリーの発見した化石をもとにえがいた、「Duria Antiquior (a more ancient Dorset)」(直訳すると「太古のドーセット」)。
どうやって生物が化石に変化するのか。メアリーが発見したアンモナイトやイクチオサウルスなど、海の生物を例にして挙げてみよう。

①死骸が海の底に沈む 。

②土砂に埋もれ体の柔らかい部分は微生物に分解され骨や歯だけが残る。

③長い年月をかけて積もった土砂の圧力などにより、骨の成分が石の成分に置き換えられることで「石化」し、「体化石」となる。

ただし、こうして出来上がった化石がそのまま発見されることはない。地殻変動によって海や川の底が隆起して陸地となった後、地震などの働きで断層ができ、化石を含む地層がようやく表面に現れ、やがて化石が発見されるのだ。また地殻変動の過程で化石はばらばらになってしまう可能性が高く、恐竜など大きな生物の化石が丸ごと見つかることは非常にまれ。

また、生物そのものでなく足跡や巣穴、フンといった生物の活動の痕跡が岩石などに残された「生痕化石」は、生物自体の化石より地味な印象があるものの、その生き物の生活場所が水辺なのか陸なのか、食生活はどうだったかなど、「体化石」だけでは不明な要素を明らかにする重要な判断材料となっている。


地質時代の中で、中新世(ちゅうしんせい=約2,300万年前から約500万年前までの期間)と呼ばれる時代の昆虫のものと考えられる化石。ドミニク共和国で採掘された琥珀に含まれているのが見つかった。© Michael S. Engel
ちなみに地球が経てきた46億年の歴史の中で化石になった生物はほんの数パーセント、発見されるのもその中からまたほんのわずか。本当はもっと多様な生物がいたはずでも我々が知り得ることができるのは氷山の一角なのだ。









 

◆◆◆ 父から受けた実地教育 ◆◆◆


 


1826年まで、メアリー一家が住んでいた住宅のスケッチ(1842年に描かれたもの)。ライム・リージス博物館建設にあたり、1889年に取り壊された。右上にあるプラークは、同博物館の外壁にかけられている。
 アニング家は子供たちを毎日学校に通わせる余裕がなく、父リチャードは本業の傍らに子供たちを海辺に連れて行き化石探しを手伝わせ、商品として売るためのノウハウを教え込んだ。
化石売りはよい副収入になるものの、天候や潮の満ち引きに左右され、地滑りや転落事故と隣り合わせの危険な仕事。発掘に適しているのは嵐の多い冬期で、土砂崩れや大波により、新たな地層が露わになった岸壁を狙い、ハンマーとたがねを携え浜辺を歩く。
しかしせっかく大物を見つけても、掘り出しているうちに満潮となり、足場をなくして見失ったり、潮に流されてしまったりすることも多かった。加えて、沿岸部では密輸船なども行き交っており、トラブルに巻き込まれる可能性も十分あった。そうした危険の中でいかに化石を持ち帰るか―。子供たちが父親から学ぶことは山ほどあったのだ。
また、アニング家は英国国教会の信者ではなく、組合教会に属していた。当時、組合教会に属する人々は法的または職業的な差別を受けたり、周囲から偏見の目で見られることもあったというが、組合教会が貧しい人々への教育を重視していたことは幼いメアリーに幸いした。
もともとの聡明さもあって、メアリーは教会の日曜学校で読み書きを覚え、のちには独学で地質学や解剖学にも親しんでいく。もしメアリーが貧しい文盲の女性として成長していたら、学者たちと学術的な意見を交わしたり、国内外の博物館と渡り合ったりする姿は見られなかったであろうし、化石を採集するだけの一介の労働者として人知れず生涯を終えていたかもしれない。メアリーの運命は、すでに「化石ハンター」へと舵を切っていたのだ。