忘れられた王と王家の谷

 カーターとカナーヴォン卿は、すぐに意気投合したわけではなかった。カナーヴォン卿は名のある考古学者と組みたがったし、考古局から解雇されたというカーターの履歴も不安材料であった。だが、自分を上回るほどの情熱と忍耐力に感服し、何より同じ目標を持っていたことが発掘を任せる決定打となった――2人は王家の谷での発掘を狙っていたのである。
 古代エジプトにおいて、ミイラとして墓に埋葬されたのは、王族や貴族などの身分の高い者や裕福な者に限られていた。数々の豪華な副葬品が納められた墓は、常に墓泥棒による盗掘の危険に曝されており、新王国時代・第18王朝の王トトメス1世は、自分の墓が暴かれないようにと険しい岩壁がそびえたつ地に岩窟墓の造営を考え出した。以後500年の間、歴代の王がそれにならって岩窟墓や地下墓を造ったため、その地は「王家の谷」と呼ばれるようになったという。カナーヴォン卿は未盗掘の王墓を発見できる可能性があるとすれば、それは王家の谷しかないと考えていた。
 しかし、カーターにはもっと具体的な目標があった。それはツタンカーメン王墓の発見である。ツタンカーメンは謎に包まれた「考古学者泣かせ」の王で、「歴代の王名リスト」にその名はないにもかかわらず、ツタンカーメン王の印章が刻まれた指輪などが、時々単独で見つかったりする。実在した王かすら確かではなく、実在したとしても在位の短い、歴史上大して重要ではない王だと推測できた。それでも「忘れ去られた王」の墓を見つけることは、考古学者なら一度は夢見るロマンといえる。多くが夢半ばで諦めていった中、カーターはツタンカーメン王墓は実在すると考え、発掘生活を送るうちに、それを発見するのは自分だと強く信じるようになったのではないだろうか。そして、そのターゲットを王家の谷に絞っていたのだ。
 王家の谷の発掘権は、引き続きセオドア・デイヴィスが握っていた。彼もツタンカーメンの墓を探し求める一人で、王家の谷から離れる様子はない。カーターたちは他の候補地を発掘しながら、時期をうかがっていた。
 1914年、ついにデイヴィスが王家の谷からはこれ以上何も発見されないと結論を出し、10年以上保持した発掘権を放棄する。知らせを聞いたカーターは、英国にいるカナーヴォン卿に電報を打ち、王家の谷の発掘権を至急手に入れるよう訴え、聞き入れられた。とはいえ、やはり好事魔多し。いよいよ念願の作業開始という時に第一次世界大戦が勃発し、発掘は一時中断となってしまう。





ルクソールのナイル河西岸に広がる王家の谷。
古代エジプト新王国時代の王の墓が集中している。© Nowic

 

進まぬ発掘と許されぬ恋

 第一次世界大戦が終結し、王家の谷で発掘作業が再開されてから3年が過ぎた1920年、何も発見できないことにカーターは焦りを感じていた。カナーヴォン卿もしびれを切らし始めており、カーターは調査方法を一新する。考古局の資料と照らし合わせて、過去数十年にわたって王家の谷で発掘された全箇所を記した測量図を作成し、未着手の場所を徹底的に掘る作戦だ。カナーヴォン卿は期待に胸を膨らませたが、結局成果は上がらなかった。失望したカナーヴォン卿は翌年の発掘権を手放し、投資からも手を引くことを示唆する。慌てたカーターは再度測量図を作成し直し、今度は発掘の際に積み上げられた土砂で覆われ、作業が困難なために避けてきた箇所をしらみつぶしに調べる方法を提案して説得を試みるが、カナーヴォン卿は難色を示したという。土砂を取り除きながらの作業は、2倍の手間と時間がかかるからだ。しかし、最後にはカーターの勢いと必死さに折れ、翌年も発掘続行を許可した。
 自分だけの指揮で結果を出さなければならない状況と、周囲から遮断された岩山の狭間での長期間にわたる仕事は、強靱な意志と忍耐力、強い信念がなければ続けられないだろう。そんなカーターを支えたのは、ツタンカーメンに寄せる執念ともいえる思いと、ある女性――カナーヴォン卿の娘イヴリンの存在だったと思われる。
 カーターがイヴリンと初めて出会ったのは、王家の谷であった。第一次世界大戦の終戦により情勢が落ち着くと、カナーヴォン卿はエジプトに娘を伴って来たのである。父からずっと話に聞いていたエジプトを訪れるのは、イヴリンにとって長年の夢であった。イヴリンは上流階級の女性にありがちな気取ったところのない控えめな人柄で、考古学の造詣も深かったといわれており、カーターの発掘への思いを理解してくれる唯一の女性であったのかもしれない。当時40代半ばを迎えていたカーターと17歳のイヴリンは、親子ほどに年齢が離れていたが、瞬く間に心を通わせるようになったとされる。イヴリンが英国に戻ってからも2人の手紙のやり取りは続き、毎年冬の発掘シーズンには父に付き添ってエジプトに滞在するようになっていた。



写真右からカナーヴォン卿、カーター、
カナーヴォン卿の娘イヴリン、カーターの助手。