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生誕130周年 謎の失踪劇を起こした ミステリーの女王アガサ・クリスティー 【前編】
Photo by Angus McBean © The National Portrait Gallery, London

■ 英国生まれの名探偵といえば、まず思い浮かべるのはシャーロック・ホームズだろう。だが、ほかにも世界的に高い人気を誇る名探偵がいる。そのうちの一人、エルキュール・ポアロやミス・マープルを生み出したのが、アガサ・クリスティー。彼女の著書は100ヵ国語以上の言語に翻訳され、聖書とシェイクスピアに次いで読まれているという「世紀の大作家」だ。生誕130周年、ポアロ誕生から100年を迎え、映画の公開も迫っているアガサの人生を前後編に分けてたどる。

●グレート・ブリトンズ●取材・執筆/柳下加奈子・本誌編集部

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史上最高ベストセラー作家

子供時代のアガサ。© Crakkerjakk

手がかりゼロの難事件が、絡まった糸をほどくようにその全容をあらわにしていき、やがて複数の登場人物が、誰しも何らかの殺意となりうる動機を持っていることに気づかされる――。

どんでん返しに次ぐ大どんでん返しで、最後の最後に容疑者を前にして明かされる謎解きに、胸のつかえが取れたような解放感を味わえるアガサ・クリスティーの小説。アガサは半世紀以上におよぶ執筆活動の中で、66の長編のほか、短編、戯曲、さらにメアリ・ウェストマコット名義によるロマンス小説を書き上げ、ギネスブックでも「史上最高のベストセラー作家」に認定されている。彼女の作品を読んだことがなくとも、孤島のホテルに集められた人々が次々と姿を消していく「そして誰もいなくなった(Ten Little Niggers)」、超豪華特急という動く密室の中で起こる殺人事件「オリエント急行の殺人 (Murder on the Orient Express)」など、ドラマや映画、舞台など、何らかの形で作品に触れたことのある人が多いはずだ。

海辺のリゾート地、トーキー。デビュー作「スタイルズ荘の怪事件」を執筆したホテルは今も健在。© Laura H.
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断念した音楽家への道

アガサは実業家である米国人の父とアイルランド人の母の第3子として、1890年9月15日、イングランド南西部デボンの湾に囲まれた町トーキーにて(Torquay)誕生。トーキーは、ペイントン(Paignton)、ブリックサム(Brixham)と合わせてイングランドの「リヴィエラ」(フランスからイタリアにかけて広がる地中海沿岸地方のリゾート地)と呼ばれ、19世紀から高級保養地として発展してきた。アガサは、そこで裕福な家庭の娘として育った。

姉や兄と10歳ほど年齢が離れていた末っ子のアガサは、寄宿学校で学ぶ姉や英軍に入隊した兄と顔を合わせる機会は少なく、またトーキーに同年代の子供がほとんどいなかったため、ペットとともに「想像上の友人」と遊ぶことが多かった。母親は子供2人を育てた経験からか、「学校教育は脳や目をダメにする」と信じており(兄は寄宿学校を中退して英軍に入隊した)、アガサには学校へ通わせず、自宅で教育を受けさせた。

11歳の時に父親が病死。その翌年には姉が嫁ぎ、兄は海外駐留が決定、家族の距離はますます遠くなった。母親はアガサに物を書くことを薦め、この頃から詩や短編小説を書きはじめている。また、姉が大好きだったコナン・ドイルの著作「シャーロック・ホームズ」シリーズに熱中し、近所に住む作家のもとを度々訪れては、読書や執筆の指導を仰ぐようにもなった。

しかし、娘をオペラ歌手かピアニストにしたかった母親は、アガサが16歳になると、パリの教養学校に進学させる。期待に応えるため声楽を学び、 ピアノの練習に励んだものの、元来の内向的な性格により「舞台に立って人前で演奏する」ことに耐えかね、音楽家としての道は諦めざるを得なかった。

アガサが生んだ愛すべき名探偵
ポアロ&ミス・マープル

エルキュール・ポアロ

卵頭にツンとはねた八の字ヒゲがトレードマークのベルギー人探偵。身長は163センチほどで小柄。チリひとつでも気にするほど、身だしなみにうるさい。初登場はアガサの処女作「スタイルズ荘の怪事件」。最終作となる「カーテン」まで33の長編、54の短編に登場。ベルギー警察の有能な警察官だったが、第一次世界大戦中に英国に亡命。以後、ロンドンで私立探偵として難事件を解決している。

相棒/ヘイスティングス大尉
物語の語り手的役割で、素人的見地で読者の視点を代弁。「シャーロック・ホームズ」シリーズのワトソン博士のような存在。容疑者の言葉をすぐ鵜呑みにしたり、外見で判断(美人に弱い)したりしがちだが、捜査が煮詰まった時にふとを口にする言葉が、ポアロの推理に救いの手を差し伸べることが多い。

代表作
「アクロイド殺し 」「オリエント急行の殺人 」
「ABC殺人事件」「ナイルに死す」

ミス・マープル

セント・メアリー・ミード村に暮らす、ガーデニングや編み物が趣味の英国人おばあちゃん探偵。ファーストネームはジェシー。「牧師館の殺人」から「スリーピング・マーダー」まで12の長編、20の短編に登場。アガサの祖母がモデルという説あり。青い目にバラ色の頬をもつ上品な老婦人。

相棒/なし

特徴
どんな物的証拠も見逃さず、論理と経験をもとに推理するポアロに対し、ミス・マープルは女性的勘と、一見ただの世間話ともとれる巧みな聞き込みなどをもとに推理。人の感情の揺れや仕草の変化を見逃さない、優れた人間観察力を持つ。ただ、警察にとって彼女の活躍は愉快なものではなく、煙たがられている。

代表作
「予告殺人」「パディントン発4時50分 」
「スリーピング・マーダー 」

「毒薬」との出会い

パリに渡ってから2年後、教養学校を卒業。結婚適齢期を迎えていたアガサは、故郷へ戻って「婚活」に励み、軍人のレジー・ルーシー少佐と婚約した。ところが、舞踏会で知り合ったアーチボルド・クリスティー大尉と恋に落ちてしまう。「運命の出会い」からわずか3ヵ月後、アーチー(アーチボルドのニックネーム)からプロポーズされた彼女は快諾し、レジーとの婚約を破棄。2年の婚約期間を経て1914年、第一次世界大戦が勃発して間もないクリスマス・イブに結婚した。アガサは24歳、アーチーは25歳だった。

第一次世界大戦中、故郷トーキーの病院で看護師をしていた頃のアガサ。この経験が、殺人事件で頻繁に登場する「毒薬」の知識をもたらすことになった。© Maypm

新婚生活を楽しむ時間はほとんどなく、アーチーは出征。アガサはトーキーの赤十字病院で、無償の看護婦として勤めはじめる。知的で人目をひく赤毛のアガサは、医者や患者から人気があり、やがて薬剤師の助手として薬局勤務に昇進するが、ここでの経験が「毒薬の知識」という、ミステリー作家としてかけがえのない財産をアガサに与えることになった。

さらに、ひょんなことから始まった、姉との「簡単には結末が予測できない探偵小説が書けるかどうか」という競い合いが、アガサの作家としての才能を開花させることとなる。この挑発に奮起した彼女は、自宅を離れてホテルに3週間こもり、執筆に専念。トーキーに似た町を舞台に、病院で出会ったベルギーからの避難民をモデルにして、かの名探偵ポアロを創出、奇怪な殺人事件を完結させた。こうして、「ホームズとワトソン博士」に匹敵する「ポアロとその相棒ヘイスティングス」を生み出したわけだが、原稿を送った出版社から良い返事はなかなかもらえず、ようやく出版にこぎつけたのは7社目。これが彼女の記念すべきデビュー作「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair At Styles)」(1920年)である。完成から4年の歳月が経っていた。

デビュー作が出版される前年の1919年には、一人娘のロザリンドを出産。その後も次々と新作を発表し、瞬く間に人気作家への階段をかけのぼったアガサは、「大英帝国博覧会」の広報チームの一員として、世界中をまわるまでになった。

だが、結婚、出産、作家としての成功――と順風満帆に見えた日々は長くは続かなかった。博覧会のための世界巡業には夫も同行していたが、この縁がもたらした「ある騒動」によって、アガサは小説を地で行くような「謎の失踪事件」を起こすのである――。

大英帝国博覧会の宣伝のため、世界をまわった広報チームメンバー。左からアガサの夫アーチー、博覧会主催者のアーネスト・ベルチャー、その秘書、アガサ。© Maypm

週刊ジャーニー No.1157(2020年10月1日)掲載