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強行した「スピード再婚」

義父、夫、母親と肉親の死が相次ぎ、喪服をまとうフランス時代のメアリー(左)。帰国したスコットランドで、眉目秀麗なダーンリー卿(右)と出会い、瞬く間に恋に落ちた。

1560年6月、メアリーの代わりにスコットランドで執政を行っていた母親が死去したとの報が、メアリーの元へ届く。さらに半年後、元来病弱だった夫のフランソワも病死。結婚生活は2年半という短いものだった。18歳で未亡人になってしまったメアリーは、スコットランドへ帰されることになった。
13年ぶりに足を踏み入れた故国に対してメアリーが抱いた印象は、「何だか暗くて田舎くさい」。ウィットに富んだ会話が繰り広げられていた華やかなフランス宮廷が恋しく、公の場以外では侍女たちとフランス語で話した。また、宗教問題にも悩まされた。スコットランドでは宗教改革が進み、イングランドの影響を受けてプロテスタント教徒が急増。敬虔なカトリック教徒である女王の帰国は、国民に困惑をもたらしたのである。そして、最大の頭痛の種が跡継ぎ問題。直系の王族はメアリーしかおらず、「早く女王に夫を!」という側近たちの声は日に日に高まっていった。
そんな「孤高の若き女王」に運命の出会いが訪れる。彼女の心を動かした人物は、イングランド貴族のダーンリー卿ヘンリー・ステュアート。メアリーと同様、ヘンリー8世の姉を祖母に持つ従兄であった。金髪碧眼で優美な顔立ち、女性としてはかなり長身(180センチあったとされる)の自分に負けない高長身、すらりとした体型、ロンドン宮廷仕込みの優雅な物腰…メアリーの胸はときめいた。男性顔負けの馬術を誇るメアリーにとって、狩猟や乗馬、ゴルフなどスポーツが得意なダーンリー卿とは趣味も合った。一気に燃え上がった恋の炎は誰にも止めることができず、ついにダーンリー卿との結婚を断行。出会ってから5ヵ月という「スピード婚」を周囲は反対したものの、メアリーは「私は女王。女王の夫は自分で選びます!」の一点張りだった。
このときメアリーは22歳、ダーンリー卿は19歳。強引な再婚劇は、彼女が断頭台への道を歩む「ひとつめの分かれ道」となった。

夫の裏切り、寵臣の虐殺

メアリーの祖父、スコットランド王ジェームズ4世が建造した、エディンバラのホリルードハウス宮殿。メアリーの寝室は向かって左の塔の3階部分、夫のダーンリー卿の部屋はその下の2階だった。

早計すぎた結婚は、破綻も早かった。
メアリーが懐妊すると同時に、夫の「化けの皮」が剥がれはじめる。見栄っ張りで短気、傲慢で野心家だったダーンリー卿は、「女王の夫」という立場が我慢ならず「国王」としての実権を要求、次第に泥酔して暴力を振るうようになり、メアリーの愛情は急激に冷めていった。そうした中でメアリーを支えたのは、有能で細やかな気遣いができるイタリア出身の音楽家デイビッド・リッツィオ。メアリーは自身の相談役としてリッツィオを秘書官に任命し、常に彼を側に置くようになった。

一方、ダーンリー卿は「メアリーの態度が冷たくなったのは、リッツィオと浮気しているからに違いない」と、2人の関係を邪推するようになっていた。そして1566年3月9日夜、事件は起きた。
エディンバラのホリルードハウス宮殿。女王の寝室に隣接する小さな晩餐室で、メアリーがリッツィオと食事を楽しんでいると、リッツィオの権勢に反感を抱いていた貴族らがダーンリー卿と手を組み、武器を携えて乗り込んできた。ダーンリー卿はメアリーの寝室の下階に部屋を構えており、警備兵に見つからずに寝室間を行き来できるよう「隠し階段」があるのを知っていた。一団はその階段をのぼって、メアリーの部屋を秘密裏に襲撃したのだ。「助けてくれ!神よ!」。武装した男たちに晩餐室から引きずり出されそうになったリッツィオは、メアリーのドレスの裾にしがみついて必死に抵抗。メアリーも彼を助けようとするが、背後からダーンリー卿に羽交い絞めにされ、身動きが取れない。大声を上げて警備兵を呼ぼうとしたメアリーの腹部に、ダーンリー卿がナイフを押し当てた。
「子どもを無事に生みたいだろう?」
メアリーの負けだった。リッツィオはメアリーの目の前で身体中を何度も刺された。その回数は、なんと56回。彼らの憎しみの程がうかがえる。
事件の3ヵ月後、メアリーは流産の危機を乗り越え、エディンバラ城で息子ジェームズを出産。しかし、生まれた子どもはメアリーの手元からすぐに引き離され、プロテスタント派貴族のもとで育てられることになった。

メアリーの目の前で、寵臣のリッツィオが刺殺される場面。助けようとするメアリーを、夫のダーンリー卿が後ろから羽交い絞めにして止めている。