より良き社会への飽くなき探究心

 1835年、ローランドはオーストラリアの植民地化に関する政府委員会に参加する。いささか唐突ともいえるこの仕事は、どうやら政界とのつながりを模索していたローランドがたまたま掴んだ、1本のロープであったらしい。これまで政府へ向けて何度も自分の改革案を発表し、それが黙殺されるのに嫌気がさしていた彼は、何とか政界に意見を通す方法はないものかと考えていたに違いない。一方で、実用的な知識を広めるべく活動していた出版団体の仕事に深く関わり、週刊誌「ペニー・マガジン」を創刊させる。これは、兄のマシューと友人の編集者と3人で散歩中に、「安っぽくて低級な読み物が多い中、労働者のためにもっとよい雑誌を提供できないか」と話した結果生まれたものだといわれている。
ローランドは早速、いかに安く印刷物を発行するか、その方法を考え始める。新聞の輪転機では失敗したが、今度こそという思いがあった。そのかいあって、1冊1ペニーという安価で1832年に創刊されたこの雑誌は、自然科学や時事を扱い、多い時は年間20万部を売り上げ、その後13年間にわたり発行される人気雑誌となった。
ふつうの人なら、革新的な学校の校長、あるいはオーストラリアの植民地化委員会の仕事、または人気雑誌の発行だけでも十分満足しそうなものだが、ローランドはそれでもまだ一生を賭けられると思える仕事に巡りあったという確証が得られていなかった。良いアイディアと思えば、何でも手当り次第に試すことをやめなかったのも、そのためだ。ただし、人生にムダなことは何もないのかもしれない。彼が試したすべてのことは、やがてペニー切手を生みだすために必要なステップとなっていたのだ。

 



ヒルが創刊に携わり、人気雑誌となった『The Penny Magazine』。

 

不当に高かった郵便代

 ちょうどこの頃、1833年に郵政大臣となったロバート・ウォラス(Robert Wallace)が郵政改革の重要性を説きはじめていた。これはまさにローランドが日頃から強い関心を抱いていたジャンルと重なり、彼は郵政問題に着手するようになるのだが、その前に、近代郵便制度成立以前の郵便事情について簡単に述べておきたい。
1635年にチャールズ1世によって一般を対象とした郵便制度が始められて以降、郵便サービスは国によって営まれていた。しかも財務省の管轄の下で運営され、1803~15年にかけて繰り広げられたナポレオン戦争で疲弊した国家財政を立て直すために郵便料金が引き上げられるなど、一層、庶民の手の届かないものになっていた。
また無料で配達される郵便物が膨大な量に上っていたことが問題視されていた。その理由として、国会議員や政府高官は無料で郵便を利用できたうえ、新聞の郵送も無料だったことがあげられている。この制度を利用して、議員に郵便物を頼む者や、古新聞の余白に手紙を書く者が後を絶たなかったようだ。
しかし、相手がだれであろうと、中身が新聞だろうと、郵便物を運ぶためには一定のコストがかかる事実に変わりはなく、その費用は有料郵便の収入によって賄わなければならない。そのため、普通郵便の料金はますます割高になる。こうなると、高額であるがゆえに郵便を利用しない者も増える。ちなみにその頃の料金は、重さではなく距離と手紙の枚数で料金が決まっていた。1通の郵便代は、例えばロンドンからアイルランドへ送ると1シリング5ペンスほど。これは日雇い労働者の1週間の稼ぎのほぼ5分の1に等しかった。
基本的に郵便物を受け取る側が支払う仕組みだったことから、高額郵便料金の支払いを拒否、つまりせっかく届けられた郵便物を受け取らない者も続出。拒否された手紙は差出人へ戻るので、郵便配達の労力とかかったコストは全くのムダというわけだ。
さらにまた、庶民の知恵というべきか、料金を支払うことなく目的を達成させる強者もいた。これは、差出人が受取人の住所を書く際に、本人同士にしかわからない小さなマークを記し、その印を見た受取人は、封を切って中身を読まずとも差出人が元気でやっていることを確認するというもの。この時代、工場や鉄道の建設ブームであり、そうした仕事のために故郷を離れて都市で暮らす労働者が大勢いた。携帯やEメールで当たり前のように遠く国外とでも連絡が取り合える現代とは違い、この頃の通信手段は手紙のみ。彼らは故郷の家族と連絡をとるべく、様々な工夫を重ねたのだ。
産業革命でこのような人口移動が起きていたことも、郵政改革の必要性が叫ばれる要因のひとつとなっていた。

 



郵便料金が手紙の枚数によって決められていた時代、枚数を少なく抑えるため、人々はクロス・ライティングという書き方を用いた。
写真のように、紙を縦(あるいは横)に置いて普通に書いた後、紙を回転させて、さらにメッセージを綴った。
© Royal Mail, courtesy of the British Postal Museum & Archive

 

1枚の切手に9億7000万円!
世界最高額を記録

 切手収集を趣味に持つ人は少なく、希少価値の高い切手は、かなりの高値をつけることもある。
今年6月、世界中の多くの収集家らの間で『渇望の品』とされてきた切手が、競売大手のサザビーズのニューヨークにて競売にかけられ、約950万ドル(約9億7000万円)で落札された。その切手とは、1856年当時、英国領であった南米ガイアナで作られた1セント切手(The British Guiana One Cent Magenta)。およそ2.5センチ×3.2センチの大きさで、英国から運ばれていた切手が不足したことから、発行されたもの。それまでの切手の最高額230万ドルを塗り替え、世界最高額を記録した。ちなみに、以前の所有者が1980年に落札したときには93万5000ドル。過去34年で、ゼロがひとつ増えたことになる。