四方八方にアイディアのタネを蒔く

 1827年、ヒル兄弟はとうとう首都ロンドンに進出し、3校目の学校を北ロンドン、トテナムのブルース・カッスル(Bruce Castle)に構える。ヘイゼルウッド・スクールのようなシステムは、伝統的習慣の根強い地方よりも、柔軟な都市でこそ、より広く受け入れられるのではないかと考えてのことだった。ヒル一家はロンドンに移住し、ここが一家の永住の地となる。
32歳になっていたローランドは校長に就任。幼なじみの女性、キャロライン・ピアソン(Caroline Pearson)とも結婚し、落ち着いた暮らしを始めた。
ところが、である。父親譲りの冒険好きの血が騒ぐのか、これまでずっとそうしてきたように、「ゼロから何かを始めてがむしゃらにやり遂げる」ことの楽しさを忘れられないのか、ローランドはここへ来て突然学校経営に対する興味を失ってしまうのだ。「社会を良くするために何かを遂行する」―その「何か」にまだ突き当たっていなかったとも言える。かねてより科学や機械、数学などを好んでいたローランドは、すでに軌道に乗っている学校の仕事をこなすかたわら、様々なアイディアを発表していく。
以下は主な彼の案だが、そのどれもが少々形を変え現在使われていることに、驚嘆の念を覚える。ローランド・ヒルは相当なアイディア・マンだったようだ。

■ 新聞専用の印刷機 ― 1枚1枚別々に刷らずに、ドラム上に長いロールで回転させて印刷すれば早いと政府に発案。しかし、値段の印を各ページに載せなければいけないからとして却下される。今思えば、これは輪転印刷機の一種だった
■ 郵便業務のスピードアップを計るため、馬車(Mail Coach)の中で仕分けや日付の押印などの郵便業務を行う
■ 数字を符号のように使ってメッセージを送る(モールス信号の元)
■ 馬や蒸気機関よりも早く郵便を届ける方法はないのか模索し、弾薬を使ったり、チューブ状のものに入れて空気圧で手紙を飛ばしたりを試みる(テレグラムの元)
■ 蒸気船のプロペラをスクリュー状にしてスピード・アップさせる
■ 道路を整備するための機械を考案する(舗装工事の原型)

 『発明オタク』とでもニックネームをつけられそうな彼のアイディアの数々をこうして見てみると、それぞれが「情報を早く届けるための手段」に関連していることがわかる。確かに、この時代は労働法、医療、学校など多くの重要な改革が施行された変革期だが、いかに重要な案件であろうとも、一般市民がその情報を知る手だては少なかった。
例えば、1832年にはバーミンガムの街頭に大勢の労働者が、政府改革案に関するニュースを知ろうと集まった。そこでは数日遅れのロンドンの新聞が、文字の読める者によって大声で読み上げられていた。このような状況を知っていたローランドは、どんな立派な改革や制度も市民に届きづらく、浸透はおろか、完全に蚊帳の外に置かれている現状を憂慮していた。後に触れるが、同時期にローランドは労働者層のための雑誌を創刊している。その目的が質の高い読み物を安く庶民に提供することにあったことからも、情報伝達の重要性、さらにはおざなりにされていた一般市民の「知る権利」「学ぶ権利」に対する問題意識の高さを知ることができるだろう。
ローランドはブルース・カッスルの校長の座を弟に譲ると、私財を使って輪転機を製作したり、弾薬で郵便を飛ばす実験をしたりと、実際的な開発に没頭する。その間、社会改革主義者ロバート・オーウェンの主催する農業共同体のマネジメントを任されたりもしているが、ほぼ10年間にわたり自らの発明案を発表しては挫折することを繰り返している。郵便のスピードアップに関してはことに熱心で、配達コーチ(馬車)の効率化のため、発明されたばかりのストップウォッチを使って配達時間を細かく計算するなど、様々な試みを実践したものの、常にあと一つ何かが足りない。印刷、スピード、低価格、どこに重点をおくべきか…。ローランドは悩む。だが、近代郵便制度の確立、そしてペニー切手の発明まで、もう1歩のところにきていた。

 



18~19世紀にかけ、郵便配達には馬車(Mail Coach)が用いられた。写真は1820年代に使われていたもの。© DanieVDM

 

郵便ポストの導入を実現! アンソニー・トロロープ
ポストは昔、緑色だった


ジャージー島に設置された郵便ポストのうちのひとつ。© Royal Mail, courtesy of the British Postal Museum & Archive
 連作小説『バーセットシャー物語』などを著したヴィクトリア朝の人気小説家、アンソニー・トロロープ(Anthony Trollope 1815~82)=写真=のもう一つの職業は郵政審議官。毎朝出勤前の2時間半を利用して、まるで日記のように規則的に小説を書いたため、類を見ない多作作家としても知られる。そのトロロープは、1851年に郵便サービス向上調査のためチャネル諸島へ出張した。英仏海峡に浮かびフランス本土に近いため、トロロープはこの地で「フランス人は郵便ポストというものを使っている」ことを知る。英国での試験運用を願い出た彼は、まずジャージー島に第1号を、翌年には英国本土のいくつかの都市に設置した。
ロンドンに登場したのは1855年のフリート・ストリートが最初だ。当時のポストは六角形でダーク・グリーン。ただしこの緑色はジャージー島になら似合ったかもしれないが、都市では「目立たない」「汚い色」などと散々な評判だったらしく、ロンドン・バスや電話ボックス同様、英国人の愛するあの赤色に変更された。
ちなみに、小説家という職業柄、人間観察力が鋭かったであろうアンソニー・トロロープは、ローランド・ヒルについての印象をこう語っている。「数字には異常に正確だし、事実関係の追求もすごいけれど、あんなに他人の気持ちがわからない人はいませんね」。正確にきちんと郵便を配達するため、ヒルは部下に非常に厳しかったといわれており、どうやらヒルとトロロープは相容れなかったようである。正確で迅速なことを愛するヒルがもし日本に住んだら、気持ちよく暮らせたかも?