夢のようにリベラルな学校

 義務教育のない時代、誰もが私営の教育施設を作ることができたが故の決断だが、こうしてヒル一家は知人を通じてバーミンガム郊外の廃校を買い上げ、校舎を増改築して自宅も構内に造り上げた。そして1803年、父親のトーマス・ライト・ヒル校長が自身の思想と夢をふんだんに盛り込んだ学校、ヒル・トップ・スクールが開校する。
多額の借金を抱えての出発だったとはいえ、今までにない自由な校風が評判を呼び、瞬く間に「新しい時代を象徴するモデル校」となる。理想主義者のヒル校長が掲げた校訓5ヵ条は、「ボランティア精神の重要性を説く」「生徒の自由な発想を重視し、興味を持つ方向へ導く」「道徳を身につけさせる」「知識を詰め込むだけではなく、自分でものを考える訓練をさせる」「協調と思いやりの精神を育てる」。
年若いローランドとその兄弟たちは、父親から学校と家庭の両方で社会主義の思想を叩き込まれる。つまり「社会を良くするために何かする」のは当たり前という教育を、幼い頃から徹底して受けてきたわけだ。彼らは先を競うように改革案を提出する。
やがてローランドは、社会貢献のための自身の道を探し試行錯誤を繰り返すことになるのだが、この時点では、父親と同じく教育者となることを考えていたようだ。現にローランドはまだ生徒のうちから同校で指導に携わり、12歳という年齢にして、生徒でもあり教師でもあるという不思議なポジションについた。彼は数学や科学の分野に秀でていた上に、物心ついた頃から父の思想をそのままそっくり吸収しており、評判がよく猫の手も借りたいほど忙しかった学校運営を手伝うことになったのは、自然のなり行きだった。

 



ヒル一家がトテナムに開校した学校の校舎となったブルース・カッスル。現在は美術館として利用されている。
館内ではローランド・ヒルの軌跡を紹介するほか、地元ハリンゲイ地区出身の歴史上の人物についての展示も行われている。
Bruce Castle Museum(Lordship Lane, N17 8NU / www.haringey.gov.uk/brucecastlemuseum)、入場無料。

 

ヒル一家にとって幸いなことに、長男のマシューとローランドは、父親の思想を継承しただけではなく、現実的な母親の血もしっかり受け継いでいた。ふたりは10代の若さで、いまだ返済しきれていない借金を返すため、学校外でも教鞭をとるほか、アルバイトにも精をだした。17歳になる頃にはローランドは一家の家計を預かり、とうとう20歳の時に借金の全額返済を達成する。彼がもともと緻密な計算を好む性格だったことがその秘訣といえそうだが、さらにローランドは、目の前の関心事に並々ならぬ情熱を注ぎ、仕事に明け暮れるといういわばワーカホリックの傾向があったことも見逃せない。そしてそれは生涯を通じて変わることはなく、彼の資質がヒル一家の経済を支えたのみならず、未来を大きく変えることにつながっていく。
ちなみに余談ながら、当時の首相はウィリアム・ピット。24歳の若さで首相の座についたことにも驚くが、それ以前は財務大臣も務めていた。ピットはなんと子供が5歳から働けるような過酷な労働法を制定している。このような時代にあっては、ローランドが10代で教師になり科学を教えたとしても、おかしくはなかったわけである。
さて、学校の評判に気を良くしたヒル一家は、2校目となる学校、ヘイゼルウッド・スクールを1819年に再びバーミンガム郊外に開校。23歳になっていたローランドは、同校の建築デザインも担当し、当時としては画期的な、英国初のガス灯を備えた学校になった(ガス灯の発明は1792年)。さらに、大ホールで全生徒が学ぶという過去200年にわたり英国で続いていたシステムを変え、少人数クラス制を取り入れた。図書室、図工室、科学実験室、舞台、体育館、プール、天文台まで設け、また、生徒による自主運営のシステムを作り、必須科目さえカバーすれば、あとは全部生徒が自分たちで物事を決定できるようにした。体罰などはもちろん禁止だ。厳しさと残酷さが混同され、体罰やいじめが蔓延し、伝統という名の因習でがんじがらめになったヴィクトリア朝時代よりも、さらに何十年か前に誕生した学校である。相当革新的であったことは想像に難くない。
この学校は主にローランド、マシュー、そして弟のアーサーによって運営され、ローランドは実質的な校長の任にあたる。3人は1822年に同校での経験を生かした学校改革案を盛り込んだ本を出版。この本はヘイゼルウッド・スクールを一夜にして有名にし、遠く南米やギリシャからも学生が訪れ始めた。本はスウェーデン語にも訳され、1830年にはヒル兄弟の思想に則った「Hillska Skolan」つまりヒル・スクールがストックホルムに開校されている。

ロンドンの地下を駆け抜けた郵便列車


地下を走った郵便列車。トンネルの直径は2~3メートル、車両幅は60センチほどと、当然ながら地下鉄よりも小さいサイズ。 © Royal Mail, courtesy of the British Postal Museum & Archive
 新しい郵便制度を軌道に乗せたローランド・ヒルは、60歳のとき、郵便本局と支局を地下で運ぶことを提案している。もともとのアイディアは30代のときに考えられたものだが、物事を改善するために尽力する彼の資質が生涯変わらなかったことを物語るエピソードだ。空気圧をエンジンとしたこの計画は、コスト面の問題から実現にはいたらなかった。しかしその後、地下を使う案は形を変え郵便史のなかに登場している。
1900年代に入り、ロンドンでは交通混雑と濃霧の影響から、主要郵便局と駅間の移送が大幅に遅れがちだった。それを解決すべく、地下に専用のトンネルと線路が設けられ、1927年12月にマウント・プレザント局とパディントン駅を結ぶ郵便列車(The Post Office Underground Railway、のちにMail Railと改称)が誕生した。開通から1ヵ月のうちに拡張され、西はパディントン駅から、東はホワイトチャペル・ロードの支局まで続く、およそ10.5キロが地下でつながった。現在多くの人でごった返すオックスフォード・ストリートの下を通過していたとされ、郵便物だけを乗せた列車が渋滞や混雑を気にせずスイスイと走ったであろう姿を想像すると、まるで物語の中の世界のようだ。この郵便専用の列車は、全盛期には1日に1200万もの郵便を運ぶほどの活躍を見せるが、残念なことに2003年に運営コスト上の事情から閉鎖を余儀なくされてしまった。

2020年完成を目指すアトラクション「郵便列車」の完成イメージ。
© Royal Mail, courtesy of the British Postal Museum & Archive
 ところが、現在この地下郵便列車を一般に公開する計画が進んでいる。完成すれば、来場者はおよそ1キロにわたる郵便列車の旅を楽しむことができるようになるという。完成予定は2020年。列車に乗るというよりは、遊園地のアトラクションに乗るような感覚が期待できそうで、今から待ち遠しい!
同時に、英国郵便の歴史や文化を、豊富な資料と体験型の展示で紹介する博物館が、ロンドンのクラークンウェル地区に建設されつつある。
開館は2016年だが、現在はマウント・プレザント局の裏手の資料室が、博物館分館として機能しており、エセックスの分館とともに、2016年オープンまでの博物館を支えている。どちらも館内見学ツアーを組んでいるほか、ライブラリーでのトーク・イベントなども随時開催されている。また、毎月1回ロンドン市内に点在する郵便ポストを含む、ロンドンの郵便の歴史について知るウォーキング・ツアーも開催されているので、興味のある方は詳細をサイトでご確認を。

BPMA Archive Search Room
Freeling House, Phoenix Place
London WC1X 0DL
The British Postal Museum Store
Unit 7 Imprimo Park, Debden Industrial Estate,
Lenthall Road, Loughton, Essex IG10 3UF
www.postalheritage.org.uk