一家での監獄生活

傷心のディケンズに、さらに追い打ちをかけるような事件が起こる。父親が膨れ上がった借金を返済することができずに逮捕され、監獄に入れられてしまったのである。 父親が入れられたロンドン・サザークにある「マーシャルシー債務者監獄」は、監獄といっても強盗犯や殺人犯が収監されるような恐ろしげなものとは異なり、規則は厳しいが、家族で生活できる公営住宅のような施設だった。収監者本人以外であれば、門限はあるものの自由に出入りもできたため、一家は数ヵ月に渡りここで暮らすことになった。
ところが、児童労働者に身を落とした上、借金を踏み倒した犯罪者の息子になるという二重の屈辱を味わうことになったディケンズは、「監獄の住人」となることをよしとせず、近くに安下宿を借り、そこから仕事場に通うことを選んだ。家賃のかからない監獄の一室で家族が暮らす中、一家のために大黒柱となって生活費を稼いでいる彼が、わざわざ自室を別に借りたという行動の影には、「他人に自分の惨めな境遇を知られたくない」という強い自尊心が見てとれる。

飢えと寒さに苦しむ路上生活者たち
ヴィクトリア朝の画家ルーク・フィールズが描いた、飢えと寒さに苦しむ路上生活者たち。

幸か不幸か、逮捕事件の数ヵ月後に父方の祖母が亡くなり、その遺産で借金を無事に返済。出獄後に父親から仕事を辞めることを許されたディケンズは、「ウェリントン・ハウス・アカデミー」という私立校へ通いはじめた。しかし、母親は夫が借金で首がまわらなくなるかも知れないとの懸念を捨てきれず、息子を働かせ続けようとし、自分の気持ちを理解してくれない母親にディケンズはひどく傷ついたという。
こうした一連の騒動や、産業革命による急速な工業化・都市化の陰で流行する疫病、拡張していくスラム街と増加する路上生活者、長時間労働といった都市問題を身をもって知った経験は、のちにディケンズ独自の作風を形づくる要因となった。子供時代の貧乏暮らしと、幼くして大人の苦労を味わうことになった経験なくしては、彼の小説は誕生し得なかったのである。
15歳で学校を卒業した後、ディケンズは法律事務所で助手の仕事に携わるようになる。しかし、この仕事にあまり興味が持てず、そのころ海軍を退職して新聞の議会通信員となっていた父親にならって速記法を学び、16歳で民法博士会(ドクターズ・コモンズ)の速記者として働きはじめた。以降、ディケンズは政治ジャーナリストを目指して修業を積む一方、裕福な銀行家の娘との叶わぬ初恋を経験したり、仕事の後に大英博物館付属の図書室に通い独学で文学を勉強したり、演劇好きが高じて俳優を夢見ては挫折したりと、若者らしい青春時代を送った。

念願の作家デビューと不穏な夫婦関係

30歳の頃のディケンスと、妻のキャサリン。
30歳の頃のディケンスと、妻のキャサリン。

さて、念願かなって新聞の政治記者となり多忙な日々を送っていた21歳の頃、ディケンズに大きなチャンスが巡ってくる。仕事の傍ら書き上げて投稿した短編作品が、月刊誌「マンスリー・マガジン」に採用されたのである。初めての創作が活字になったことに感激した彼は、「ボズ(Boz)」というペンネームを使ってあちこちの雑誌で短編小説やエッセイ等を発表。投稿作をまとめた初の短編集「ボズのスケッチ集」は、その優れた観察眼が認められ、新進作家として注目を浴びるようになった。
ディケンズが作家デビューしたヴィクトリア朝前期においては、書籍は贅沢品として一部の裕福な人々の手にしか届かないものだった。しかも小説は低俗とみなされ、読者人口も多くはなかったという。だが、産業革命により経済が飛躍的に発展し、大英帝国が絶頂期を迎える中、出版界も印刷技術の向上などで劇的な変貌を遂げ、それに合わせるように国民の活字文化も変わっていった。こうした時代の流れが、大文豪ディケンズの誕生を可能にしたと言えるだろう。
当時の小説は「3巻本」で出版されるのが一般的で、価格は労働者の平均週給に相当するほどだったが、あまり裕福ではない大衆層をターゲットに新しい事業を立ち上げようとしていた新興出版社が、新人作家ボズことディケンズに白羽の矢を立てた。そして1836年、彼の初の長編小説が大衆の手が届く「月刊分冊形式」で発売の運びとなる。ディケンズが24歳の時のことだった。この長編小説「ピクウィック・クラブ(ピクウィック・ペイパーズ)」は、当初売れ行きは思わしくなかったものの、4冊目の物語に登場した愉快なロンドンっ子「サム・ウェラー」が人気を呼び、驚異的な売り上げを記録。一躍人気作家としての名声を確立していった。
またこの前年から、新創刊の夕刊新聞「イヴニング・クロニクル」に短編小説を寄稿していたディケンズに、私生活でも大きな変化が訪れる。同紙の編集長の娘で、3歳下のキャサリン・ホガースとの結婚である。しかし、2人は10人もの子供に恵まれながらも、のちに別居生活を送るなど、その関係はあまり幸せなものではなかった。別居の原因としては、性格の不一致のほか、キャサリンの妹メアリーやジョージアナ、舞台女優エレン・ターナンらとディケンズの浮気が一因と考えられている。実際に、メアリーが17歳で急死した時には、ディケンズは哀しみのあまり執筆活動ができなくなってしまったといい、夫婦生活が破綻するのは時間の問題だったのかもしれない。