徳川るり子の細腕感情記Ⅱ

何ゆえ、英国の信号機は赤から青信号に変わる前に、もう一度黄色が点灯しますの?


徳川るり子

愛するお父様へ

前文お許しくださいませ。

先週末、イースト・サセックスにある小さな町シーフォードから、イーストボーンまでを繋ぐ海沿いのウォーキング・コースを、エドワーズご夫妻とともに歩いてまいりました。ウォーキングと言いましても、登りと降りがかなり激しい道のりだったのですが、乗馬で足腰を鍛えているかいがあり(?)、さほど疲れずに歩き切ることができました。ホワイトクリフと呼ばれる真っ白なチョーク層の断崖と海の対比は大変美しく、身も心もリフレッシュできた次第です。

ところで、エドワーズ氏の運転する自動車でシーフォードまで向かったのですけれど、その途中で興味深い事柄に気づきました。それは信号機の点灯順です。日本の信号機は青→黄→赤色の順番で点灯いたしますが、英国の信号機は青→黄→赤→黄色と、青信号になる前に黄信号がもう一度点灯するのです! 一体なぜ、黄色は二度も点灯するのでしょう? 疑問に思いましたので、ロンドンに戻りましてから調べてみました。

資料によりますと、世界で初めて信号機が道路に設置されたのは1868年のロンドンで、国会議事堂近くの交差点とのこと。馬車のほかに二階建てバスの運行もはじまり、交通量が急増したことから人身事故が多発。警察官がどれほど懸命に交通整理をしても事故件数が減らなかったため、蒸気機関車の信号機を設計したジョン・ピーク・ナイトなる人物が、「道路にも信号機を設置してはどうか?」と提案したのが最初なのだとか。ちなみに、第1号の信号機は青と赤色のみだったそうです。

ただ当時の信号機は、現在のように電気灯ではなくガス灯でした。一日中点灯させているとすぐにガス欠となってしまいますので、霧が発生して見晴らしの悪い日と夜間以外は、信号機は使われていなかったようです。しかし画期的に思われたこの信号機設置計画は、翌年にガス漏れによる爆発事故が起きてしまったことが原因で中止に。自動車の普及によりロンドンの路上に信号機が再び姿を現したのは、約60年後の1929年のことでした。

さて「進め」の青、「止まれ」の赤以外に、「注意」を促す黄色を信号機に取り入れたのは、残念ながら英国ではなく米国です。なぜ黄色が選ばれたのかというと、青と赤の中間色だったからとか…。やがて国際照明委員会(CIE)の規定で、交通信号機の配色は世界共通で「青・赤・黄色」の3色と定められ、現在に至ります。

配色の統一後、道路標識なども統一しようという動きがヨーロッパ内で高まったそうで、1968年に「道路標識及び信号に関するウィーン条約」がヨーロッパ諸国間で結ばれました。この条約では、「停止・発進の準備をしてください」という警告の意味として、赤・青信号の前に必ず黄信号を点灯させることが定められているのだそうです!

日本はこの条約に加盟していないため、青→黄→赤色という独自のルールを採用しているとのこと。つまり英国だけの習慣ではなく、ヨーロッパ諸国の共通ルールだったようです。

それでは今日はこのへんで。お母様にもよろしくお伝えくださいませませ。

かしこ
平成29年10月14日 るり子



とくがわ・るりこ◆ 横浜生まれのお嬢様。名門聖エリザベス女学院卒。元華族出身の26歳。あまりに甘やかされ過ぎたため、きわめてワガママかつ勝気、しかも好奇心(ヤジ馬根性)旺盛。その性格の矯正を画する父君の命により渡英。在英3年。ホームステイをしながら英語学校に通学中。『細腕感情記』(平成6年3月~平成13年1月連載)の筆者・徳川きりこ嬢の姪。

週刊ジャーニー No.1006(2017年10月19日)掲載

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