徳川るり子の細腕感情記Ⅱ

何ゆえ、英国のエレベーターには「閉」ボタンがないんですの?


徳川るり子

愛するお父様へ

前文お許しくださいませ。

お父様、いかがお過ごしでしょうか? 早速ではございますが、本日も英国と日本の違いにつきまして、ご報告させていただきますね。

渡英当初、カルチャーショックを受けた出来事のひとつが「エレベーターのボタン」です。日本のエレベーターには、自動ドアを早く閉めたい場合に押す「閉」ボタンが必ずありますが、英国には「閉」ボタンのないエレベーターが非常に多いのです! 利用階を押した後、つい条件反射で「閉」ボタンを押そうとするものの、見つけることができずに手をさまよわせることもしばしば。待ち合わせなどで急いでいるときは、なかなか閉まらないドアにイライラとしてしまいます。

先日、友人宅へ遊びにまいりました折に乗ったエレベーターも、「閉」ボタンがありませんでした。しかも恥ずかしながら、「開」ボタンの隣に並んでいた「非常ベル」ボタンを、「閉」ボタンと勘違いしてうっかり押してしまったのです! 案の定、フラット中に非常ベルが鳴り響き、大騒ぎを起こしてしまいました(住民の皆様、ご迷惑をおかけいたしました…)。

一体なぜ、英国のエレベーターには「閉」ボタンが設置されていないのでしょう? 不便ではないのでしょうか。気になりましたので、調べてみることにいたしました。

ウェストミンスター・カウンシルに問い合わせましたところ、大変興味深い回答をいただきました。1990年代に、英国でエレベーターの「閉」ボタンの設置を廃止する運動が起きたのだそうです。きっかけは、1990年に米国で制定された「米国障がい者法(Americans With Disabilities Act)」。これは障がいを持つ人々を差別から保護することを目的とした法律で、雇用や公共サービスなど多岐にわたっています。その中のひとつに、エレベーターの利用方法も含まれているのだとか。

同法では、身体を早く動かすことができない人、松葉杖や車椅子を使う人が慌てたり、事故に巻き込まれたりしないように、エレベーターのドアを一定時間、開けておくように定めているそうなのです。この法律の施行を受け、欧州でエレベーターの「閉」ボタンをなくそうという気運が高まったとのこと。英国でも1990年代以降に改修・建設されたエレベーターには、「閉」ボタンが設置されないことが多かったようです。

ちなみに、最近は再び「閉」ボタンのあるエレベーターが増えているそうですが、たとえ「閉」ボタンがあっても必ずしもドアが早く閉まるとは限らず、『偽物』のボタンもあるのだとか! これは非常事態時に使用するもので、通常時にも押すことはできるものの作動しないとのこと。消防隊員や工事作業員が専用の鍵やパスワードを使うことによって、初めて作動するのだそうです。

「閉」ボタンがないと不便、などと自分のことしか考えなかったことに、少々恥ずかしさを覚えた次第です。

それでは今日はこのへんで。お母様にもよろしくお伝えくださいませませ。

かしこ
平成29年9月16日 るり子



とくがわ・るりこ◆ 横浜生まれのお嬢様。名門聖エリザベス女学院卒。元華族出身の26歳。あまりに甘やかされ過ぎたため、きわめてワガママかつ勝気、しかも好奇心(ヤジ馬根性)旺盛。その性格の矯正を画する父君の命により渡英。在英3年。ホームステイをしながら英語学校に通学中。『細腕感情記』(平成6年3月~平成13年1月連載)の筆者・徳川きりこ嬢の姪。

週刊ジャーニー No.1002(2017年9月21日)掲載

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