■ 第221話 ■「マサダの悲劇」が悲劇過ぎ
▶紀元前6世紀、イスラエル王国はローマ帝国の属州とされた。この頃ローマはまだ多神教。一神教のユダヤ人とは理解し合えない部分が多々あった。ローマはユダヤの民に過酷な労働と税を課した。ユダヤ人の間に反ローマ感情が高まり、やがて大規模な戦争に発展する。ユダヤ戦争は紀元66年と132年、2度に渡って勃発。いずれもローマ軍の勝利で終わった。旧約聖書をチラ見して思ったことがある。ユダヤ人はプライドが高く、誇りを守るためなら時に恐ろしく好戦的で過激ということ。これは彼らの「選民思想」と神との契約を遵守する「律法主義」に拠るところが大きい。モーセの十戒は「殺すな」と言うけれど、実際には多くの人々が殺された。四国ほどの大きさしかないイスラエルが無謀にも世界最強のローマ軍に2度も挑んで敗北した。神に選ばれた「人類の長男」としてローマ人の横暴が許せなかったのだろうか。頼みの英米はまだ存在せず、ボコボコにされた上に故郷を追われた。ユダヤ人はその後、約2千年近くも世界中を彷徨い続けることになる。
▶第一次ユダヤ戦争の終盤、悲惨な出来事があった。紀元70年にはローマによってエルサレムが陥落、第二神殿も破壊された。死海西岸に標高400メートルの切り立った台地があり、頂上部分にはマサダという要塞があった。エルサレムを脱出した女性や子どもを含む約1000人のユダヤ人がこの要塞に立て籠った。山頂へは細く急峻な登山道1本があるのみ。ユダヤ人たちはここにエッチラ家畜を運び、雨水を貯め、野菜などを育てて籠城戦に備えた。シナゴーグ(会堂)もあった。
▶総勢1万5,000のローマ軍がマサダを包囲した。しかし飛行機も大砲もない時代、ローマ軍は攻めあぐねた。ある日大量の奴隷が連行されて来た。彼らは台地西側に土を盛り固め始めた。頂上まで緩やかなスロープを作る計画だ。3年掛かりの大土木事業。その様子を崖の上から見ていたユダヤ人たちは衝撃を受けた。酷使されていた奴隷は降伏した同胞のユダヤ人たちだった。自分たちのために仲間を苦しめていいものか、意見が分かれた。結論が出ないままスロープ完成の日が来た。
▶激しい抵抗を予想しつつ頂上に上がったローマ軍兵士たち。目の前に広がる光景に絶句した。約1000人のユダヤ人が集団自決していた。難を逃れた女2人と子ども5人が保護された。スロープ完成直前、リーダー格の男たちはシナゴーグで話し合った。闘えば全滅。降伏すれば異教徒の奴隷。誇り高きユダヤ人。どちらも受け入れられない。彼らが選んだのは第3の道、集団自決だった。問題は細川ガラシャ同様、自殺が厳しく禁じられていることだった。そこでまず男たちは自らの妻や子を殺した。次にくじ引きで10人を選び、選に漏れた男たちを殺した。もう1度くじを引き、当たった1人が残りの9人を殺して自刃した。遺跡からはその時、くじ引きに使われた名前入りの陶片が発見された。周囲敵だらけの現イスラエルでは一部を除き18歳以上の男女に兵役が義務付けられている。男子は3年。女子は最長2年。イスラエル軍の入隊式は今もこのマサダ要塞で行われる。そして新兵は「2度とマサダの悲劇を繰り返さない」と誓う。マサダの要塞は2001年、ユネスコの世界遺産に登録された。イスラエルとユダヤ人がほんの少し分かった気がするところで次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1343(2024年5月23日)掲載
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