■ 第219話 ■3分で分かる細川ガラシャ
▶もう1週「SHOGUN」を語る。関ヶ原の合戦直前の日本に漂着した英国人ジョン・ブラックソーン。通訳として抜擢されるのが戸田鞠子(まりこ)だ。鞠子のモデルは明智光秀の娘、細川ガラシャ。劇中での鞠子の壮絶死が気になって三浦綾子著の「細川ガラシャ夫人」を購入。電子書籍なので10秒で届いた。上下2巻で770円。円安で3.94ポンドだった。はやー&やすー。三浦綾子は北海道旭川市出身の作家。昭和33年、無名だった頃に書いた「氷点」が新聞に連載され社会現象となった。ガラシャ同様、敬虔なクリスチャンだった。余談だがかつて本誌編集部に三浦綾子の姪御さんがいて才筆をふるった。牧瀬里穂似の美人だった。「細川ガラシャ夫人」。赤川次郎の作品並みに会話と空白が多くて読みやすく2夜で完読。たまには読書もいいね。
▶細川ガラシャ。本名は玉。明智光秀の三女として生まれた。15歳の時、信長の仲介で細川藤孝の嫡男で同い年の忠興(ただおき)に嫁いだ。2人の子をもうけ、3人目を宿して幸せの絶頂にいた二十歳の時、人生が大暗転する。1582年6月、本能寺の変が起こり、父光秀が山崎の戦いで討ち死に。明智家は主君を討った逆賊一家。多くが連座で自刃した。忠興は玉を丹後の山奥に幽閉し処刑を免れた。その後秀吉によって赦免され大阪に戻った。玉不在の間、忠興は側室を置いて子も作っていた。夫婦の間に埋め難い溝が刻まれた。大阪に戻ったものの生涯逆賊の娘として生きていかねばならない。忠興は世間体を気にして玉の外出を厳しく禁じた。忠興はキリシタン大名高山右近の話を玉によく聞かせた。鬱々とした幽閉生活の中、玉はデウスに救いを見出す。キリシタンの侍女がいた。他の侍女たちも受洗した。夫も随行した九州征伐の最中、秀吉が突然「バテレン追放令」を発布。外出を赦されない玉は侍女の中継ぎで急ぎ受洗した。洗礼名ガラシャ。ラテン語でグラティア。英語ではグレースとなる。「神の恵み」や「恩寵」の意だ。帰国した忠興は玉たちの受洗に激怒。侍女たちの鼻や耳を削ぎ落した。
▶関ヶ原の合戦が迫る中、忠興は家康と共に上杉征伐に向かう。石田三成はこの機に家康側についた大名の家族を人質に取ろうと細川家を包囲。投降するよう要求した。玉は「外出を禁ず」という夫の言葉を守り、これを拒絶。カトリックが自殺を赦さないため家臣に介錯を頼み槍で胸を突かせて死んだ。家に火が放たれ家臣も殉死した。ガラシャの死により石田離れが進み、東軍勝利の一助となったと言われる。享年38。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」。ガラシャ辞世の句。「散るべき時に散るからこそ花も人も美しい」といった意味だ。和歌や俳句の素養ゼロの筆者にはガラシャの辞世の句の良し悪しは分からない。ただガラシャの運命と壮絶な最期を思うと胸がギューンとなる。
▶先日、色々物議を醸した川〇平太静〇県知事が辞意を表明した。囲み取材で知事はガラシャ辞世の句を口にした。辞世の句とはこの世に別れを告げる者が詠む和歌や短型詩。詠んで良いのはその人生を生きた本人だけだ。莫大な資産を築き、平穏な余生が待っている者が口にするのは違和感しかない。教養あるでしょをアピールしたいなら他人の辞世の句をパクらず自分なりの31字を綴るべきだぜとっつぁん、とルパン3世になったところで次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。
参考:三浦綾子著「細川ガラシャ夫人」他
週刊ジャーニー No.1341(2024年5月9日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む