■ 第201話 ■ ベッドの明かりは大切
▶年を跨いで「旧約聖書」の話、続いている。恥ずかしながら「聖書」がこんなに面白い読み物だと知らなかった。物書きとは「んなアホな」と言われないよう、ストーリーの整合性構築に神経をすり減らす生き物だ。しかしそんな面倒なルールを丸無視したら物語ってこんなに面白くなるのねを「旧約聖書」に思い知らされた。だからと言って今の時代にこれだけ「んなアホな」を並べても「アホ言うな」と怒られるだけだろうが。奇跡の連続は聖書の中だけで成立するお話。しかし要所要所に一神教の本質が散りばめられていてとても興味深い。父イサクと双子の兄エサウを欺いて「神の祝福」を横取りしたヤコブ。母リベカの助言で彼女の故郷、遠いハランへと逃れる。この時リベカはヤコブにもう一つの助言をしていた。「ハランでお嫁さんを見つけなさい。ここは異教徒しかいないからだめ」。
▶ハランに向かう道すがら、ヤコブは不思議な夢を見た。地上から天国へと続く光の階段が続き、その間を無数の天使たちが往来している。気が付くとヤコブの隣に立つものがあった。「我こそはそなたの祖父アブラハム、そなたの父イサクの神である。この土地をそなたとそなたの子孫に与えよう。世界の民はそなたとそなたの子孫のお陰で神の祝福を受けるであろう。我はそなたを決して見捨てはしない」。ヤコブは母リベカの策略で父イサクと双子の兄エサウを騙し、神の祝福を掠め取った男だ。なぜこのような男を神は祝福しようとするのか、よく分からない。しかしこんなことでいちいち躓いていたら「旧約聖書」は前に進めない。ヤコブも素直に神に感謝し、神の忠実な僕(しもべ)となることを誓った。肝心なのは善人であることよりも神に対して忠実であるかどうかということらしい。
▶ハランに着いた。そこには母の兄ラバン一家が暮らしていた。ラバンには2人の娘がいた。姉はレア、妹はラケルといった。伯父の娘、つまりヤコブとはいとこ同士にあたる。ヘブライ語の原文には次のように書かれているという。「姉のレアは優しい目をしていた。妹のラケルは顔も美しく容姿も優れていた」。ヘブライ語だろうが日本語だろうが姉と妹、どちらが魅力的だったかは明らかだ。ヤコブは妹のラケルに惚れた。この時代、娘は父親の所有財産。惚れたからと言って勝手なことはできない。ヤコブは伯父の元で年季奉公することを条件に、7年後にラケルを妻としてもらいうける約束を取り付けた。
▶男は今も昔もお預けに弱いらしい。ラケルを抱きたい一心でヤコブは懸命に働き、伯父の経営する牧場も見る見る豊かになった。そして約束の7年が過ぎた。ヤコブとラケル、婚礼の時が来た。長い祝宴も終わりとなり、いよいよ若い2人が初めて床を共にする時が来た。「こちらでございます」。下女によって暗い寝室に案内された若いヤコブ。部屋いっぱいに立ち込める甘美で妖艶な香り。7年間待ちに待った瞬間だ。ヤコブはベッドの中に頭から飛び込んだ。そこから先の世界は新春号に相応しくないので読者の想像力にお任せする。翌朝、ベッドの中で目を覚ましたヤコブ。背中を向けて静かに寝息を立てる新妻の肩にそっと手を置いた。新妻が恥ずかしそうに振り返った。それはヤコブが7年もの間、追い求めたラケルではなく、優しい目をした女、姉のレアだった。新年早々ドロドロの様相で次号に続く。チャンネルはそのままだ。
参考:阿刀田高著「旧約聖書を知っていますか」他
週刊ジャーニー No.1323(2024年1月4日)掲載
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