ニューヨーク・メッツ対フィラデルフィア・フィリーズ
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■ 第192話 ■だからクジラ食え(おまけ編)

▶3週に渡って「宝島事件」を追った。書きながら「ん?」と思った部分がある。牛泥棒と化したイギリスの捕鯨船。3艘の小舟に分乗した捕鯨船員たちが上陸した際、母船から艦砲射撃があり波間に水柱が上がったと書いた。「なんで捕鯨船が大砲なんか積んでんだ?」。気になったら眠れなくなる可憐な神経。仕方ないから調べてみた。なのでもう1回、脱線。

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▶1588年、イングランドが無敵艦隊を壊滅させた。だからと言ってすぐにスペインが没落した訳ではない。世界の海は依然スペインとポルトガルの2国が独占していた。オランダやイングランドもアジアや新大陸を目指したが各地でスペイン船に邪魔された。ひらめいた男がいた。「だったら北に行きゃいいんじゃね?」「北って?」「ロシアと北極の間(北極圏)を東に向かえばスペイン人に遭わずにアメリカやインド、行けるんじゃね?」「お前、賢いな」となった。賢いと褒められたのはウィレム・バレンツというオランダ人。1594年、彼らは北極圏を東に進む「北東航路」探検に出発した。しかし北極圏は分厚い氷に閉ざされており太平洋に抜けるルートは見つからなかった。賢いバレンツも遭難死した。でも地図に「バレンツ海」の名を刻んだ。この探検の中、オランダ人たちはグリーンランドの東側に大きな島を発見した。彼らはこの島をスピッツベルゲンと呼んだ。そこで島の周囲を回遊する無数の鯨を見た。ホッキョククジラだ。

昔の捕鯨は命懸け
昔の捕鯨は命懸けだったんですが、何か?

▶早速スピッツベルゲンに捕鯨船が送られた。捕鯨は特殊技術。古くから捕鯨が盛んだったバスク地方サンセバスチャンのプロを雇った。誰もいない海。鯨、入れ食い。イングランドが黙って見ているはずがない。すぐに国王ジェームズ1世に特許状を書かせ捕鯨船を向かわせた。捕鯨船と言っても大砲ズラリ並べた武装船。鯨を満載し家路を急ぐオランダ船を停止させ「英国王の命令じゃ」と脅し鯨を強奪した。だから捕鯨と大砲はセットだった。「ひでー」。憤慨したオランダも捕鯨船を武装。さらに互いが軍艦を護衛につけてスピッツベルゲンを目指した。数年前まで同じプロテスタント国として共通の敵、カトリック大国スペインと共闘していた2国。苦労は共に出来ても富貴は分け合えなかった。それが人。


▶2国は捕鯨海域の線引きに合意。戦争は回避された。ところがアホみたいに鯨を捕りまくったためスピッツベルゲン島周辺では鯨が枯渇。SDGsって何ですか? 鯨を求めて捕鯨船は大西洋を彷徨った。イングランドで清教徒革命が勃発すると捕鯨はほぼオランダの独占となった。1650年頃には毎年1500~2000頭のホッキョククジラが捕殺された。18世紀になるとイングランドも復帰。空白期の損を取り戻すかのように鯨を捕殺しまくり千代子。鯨油は街灯やろうそくとなり、産業革命が本格化すると機械の潤滑油として不可欠の存在となった。ヒゲはコルセットや櫛、膨らんだスカートの骨組み、帽子の整形や傘等に使われた。お肉は「味が薄い」と棄てられた。うんめぇのに。ついに大西洋から鯨が消えた。彼らは太平洋に漁場を拡大した。鯨油のクオリティが桁違いに良好なマッコウクジラと出会った。各地で英米仏蘭西の捕鯨船が衝突。争いを避け、鯨を深追いしているうちにトカラ列島に到達。味覚オンチな連中がステーキ食いたい一心で宝島を襲撃したってことなんかな。日本近海でやりたい放題。迷惑な連中だった。ってなこって次号に続くぜ。チャンネルはそのままだ。

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週刊ジャーニー No.1314(2023年10月26日)掲載

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