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■ 第188話 ■長崎で暴れた英貴族のボン

▶パーマストン卿が死んでヴィクトリア女王の治世もちょうど半分あたり。ここでちょっと中休みして少しだけ時を戻しちゃう。18世紀の終わり頃、ロシアがしきりに日本にちょっかい出して来て通商を要求した。最初は女帝エカチェリーナ2世の国書を携え笑顔と共にやって来た。しかし日本に開国の意思がないと分かると途端に暴力的になり、樺太や択捉島などに現れては会所や番屋、神社等に火を放ったり、商船を襲って積み荷を略奪するなど、さんざっぱら狼藉を働いた。ロシアのやり口、昔も今もほとんどヤクザ。1813年に和平交渉が成立し、ようやく暴走は収まった。

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▶1808年、一隻の軍艦が長崎に入港した。マストにオランダの国旗。自国船と思ったオランダ商館職員2人が小舟で軍艦に向かった。次の瞬間、オランダ旗が降ろされ別の旗がスルスルと上がった。ユニオンジャックだ。オランダ人は拉致された。イギリス、やり方、きったね~。英海軍の武装ボートが何かを探して長崎港内を走り回った。この時ヨーロッパはナポレオン戦争の真っ只中。オランダはフランスに占領された。世界各地のオランダ植民地は全てフランスの影響下に置かれた。そのため英海軍がフランス支配下のオランダ船を奪おうと長崎まで来たという訳だ。イギリスと国交のない日本。「許可なく入港するとはケシカラン。出て行け」と言えたら良かった。しかし長崎、防衛力貧弱でこれが言えない。

艦長ペリュー
艦長のペリュー(19)ですが、何か?

▶この軍艦、フェートン号という。巡洋艦クラスの大型戦艦だ。艦長はフリートウッド・ペリュー(Fleetwood Pellew)。海軍提督エクスマス子爵の次男。武功により貴族に成り上がった軍人の次男坊で、この時19歳。溺愛パパのお陰で巡洋艦の艦長に出世した。要はクソボンボン。長崎奉行の松平康英(やすふさ)は人質の即時釈放を要求したがボンはこれを無視。逆に書面で薪水と食料を要求。寄こさなきゃ港内の和船を全部焼き払うと恫喝した。もはや海賊。松平は要求を聞き入れるふりをする一方で薩摩や大村など九州諸藩に出兵を要請。密かにフェートン号襲撃の計画を練った。薪水食料を渡したことでオランダ職員は解放された。その翌日、大村藩兵が長崎に到着。しかし、ボンたちは既に長崎港を離脱していた。


▶ボンに好き勝手やられたものの日本側にもオランダ側にも死傷者は出ず、長崎港に平和が戻った。めでたし、めでたし。いや、全然めでたくなかった。異国船の侵入を簡単に許した上に人質取られて恫喝され、要求に応じざるを得なかった長崎奉行の松平康英。国威を辱めたとして後日切腹した。さらに予算ケチって国防の兵力を減らしていた鍋島藩家老2名も腹を切った。鎖国中なのに詐欺師の手口で乱入され、好き放題やられた被害者側の日本国民3人の命が失われた。これが後に言う「フェートン号事件」だ。この事件をきっかけに長崎湾や江戸湾はじめ、日本各地に砲台が築かれた。ちなみにこのボン、親の威光でその後も出世を続けた。しかし同国人に対しても高圧的で水兵たちに愛のない過酷な要求を繰り返したため航海中、何度も反乱を起こされた。その人望のなさは本国で問題視され、海上勤務から外された。ザマ~ミロと言いたいところだが大物ダディーのおかげで「提督」のタイトルだけは最後までキープした。この事件から16年後の夏、再び厄介な英国籍の船が九州の南に現れ、また死者が出る。何か嫌な感じで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

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週刊ジャーニー No.1310(2023年9月28日)掲載

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