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■ 第187話 ■女王に嫌われた男、逝く

▶生麦事件の延長線で勃発した薩英戦争。英艦隊と互角以上に渡り合った薩摩はその後、イギリスに接近していく。鎖国中の低開発国相手に砲艦並べて開国を迫り、不平等条約と自由貿易を押し付ける戦略で成長してきた英国。薩摩で思わぬ返り討ちにあい、パーマストン首相もさすがに日本武士の強さにビビったんじゃないの? ビビッてなかった。この頃のヨーロッパは各地で小競り合いが起きていてパーマストン卿大忙し。より頭が痛かったのは南北戦争の勃発だ。局外中立を決め込んだイギリスだったけど、米南部から運ばれて来る安価な綿花が入って来なくなっちゃって内心アタフタ。生麦事件は南北戦争が始まった翌年に起こった。パーマストン卿には極東の小さな島国に熱中する理由も余裕もなかった。

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▶1863年、薩英戦争が終わって数ヵ月後の11月、いわゆる長州ファイブがロンドンに到着した。2年後、英米仏蘭の四ヵ国艦隊が下関の砲台を粉砕。長州藩とドンパチやる一方で翌年、イギリスは薩摩からの遣英使節団19名を受け入れた。イギリスのこの二面性、一体何なの?長州ファイブの渡英を斡旋したのはロスチャイルド家の手先、ジャーディン・マセソン社。一方、薩摩の使節団密航を手配したのも同社長崎分店のトマス・グラバーだ。この時、このユダヤ系商社は英国政府の思惑と関係なく、独自の嗅覚と判断で動いていたと考えてよい。

40歳目前のヴィクトリア女王
1860年、40歳目前のヴィクトリア女王ですが、何か?

▶さて、あまりにも強硬な外交を独断で進めるパーマストン卿。当然のことながらヴィクトリア女王と激突した。女王とその夫であるアルバート公はドイツ人。ドイツ連邦2大国のプロイセンとオーストリアとはなるべく良好な関係を保ちたいと願っていた2人だが、対ドイツに強行姿勢を貫くパーマストン卿が大嫌い。外相の時「ドン・パシフィコ事件」で女王陛下の艦隊を許可なくギリシャ恫喝に使った際には「勝手なことすな~。私が裁可したものを勝手に覆すな~。今度それやったらクビね~!」と叱って約束させた。しかしパーマストン卿はヴィクトリアを無視。独断で強硬的外交を続けたことが後に女王にバレて罷免された。ところが国民の間でイギリスに富と誇りをもたらすパーマストン卿の人気は高く、結局数年後に首相となった。その後も女王は強引なこの男に手を焼き続けた。1861年末にアルバート公が死去し、その後ヴィクトリアが長い間喪に服すのは、暴走を続けるパーマストン卿とたった一人で対峙する気力を失ったせいかもしれない。これは個人的見解ね。

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▶強硬外交に忙しいパーマストン卿だったが南北戦争が終わり、リンカーンが暗殺された1865年の秋、風邪をこじらせて突然死んだ。享年80。現役首相のまま逝った。訃報に触れたヴィクトリアは「大嫌いだった。尊敬もしていなかった。あれほど野心に溢れ、断固として譲らず、私たちを悩ませた男が逝った。でもなんか厳粛な気持ちになっちゃうの。不思議ね~」と複雑な女心を書き残した。パックス・ブリタニカの前半を担い、国益と国民の利益のためにばく進したパーマストン卿。他国にとっては実に厄介な存在だったが、イギリスに莫大な利益をもたらし、ヴィクトリア女王の歴史的評価を爆上げさせた立役者の一人だ。しかし女王には最後まで疎まれた。大政奉還まであと2年、というところでパーマストン首相が逝き、女王は服喪中。両輪不在となった大英帝国。対日政策、どうなんの? ってな辺りで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

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