
■ 第186話 ■2匹目のドジョウは日本
▶前号では「ドン・パシフィコ事件」を語った。事件から12年後の1862年秋、横浜近くで島津の大名行列に騎乗のまま乱入したイギリス人が斬り殺された。生麦事件だ。それまでも異人を狙った襲撃事件は起きていたがいずれも犯人は不明か浪人。いわばテロ事件で責任の追及は難しかった。ところが生麦事件は性格が違った。殺ったのは立派な薩摩藩士。所属がはっきりしていた。今で言うなら県庁職員が無礼な外国人観光客を切捨御免しちゃったようなもんだ。「アヘン戦争」や「ドン・パシフィコ事件」で弱みを握った相手脅してチュ~チュ~吸い上げる汁の甘さを知っちゃったイギリス。この好機を利用しない訳がない。
▶生麦事件で殺されたのはロンドン出身のチャールズ・レノックス・リチャードソン(29)。20歳の頃に一攫千金を求めて上海に渡り、商社を立ち上げて貿易に携わったが失敗。会社を畳み、帰国する直前に観光目的で立ち寄った日本で殺された。同氏と面識のある北京駐在公使は本国に「リチャードソンは自ら雇った何の落ち度もない中国人苦力(クーリー)に残虐な暴行を加えた罪で逮捕された。わが国のミドルクラスに多く見られる抑制のきかない粗暴な輩」と報告した。また、リチャードソンの叔父は「向こう見ずで頑固な奴だった。いつかこんな風に死ぬだろうと思っていた。上海に行ったのもイギリスにいられなくなったからだ。島津のしたことは正しいと思う。英国政府は事件に介入すべきではなかった」と話した。死者を悪く言うつもりは毛頭ないが、要するにリチャードソンとは差別主義の鼻もちならないクソ野郎だった。あ、言っちゃった(汗)。少なくともイギリスが戦争の危険を冒してまで介入するだけの人物ではなかった。しかしイギリスはそれをやった。イギリスはエビでマグロを釣ろうとした。帝国主義の常套手段だ。本国側の表に立って指揮したのは外務相のラッセル卿だが、その背後にいたのは日本がどこにあるのかもよく知らないけど砲艦外交を得意とする時の首相、パーマストン卿だ。

▶イギリス側は「江戸を火の海にする」と幕府を脅した。幕府役人たちはアワアワ。結局、監督不行き届きで謝罪させられた上に賠償金10万ポンドを毟り取られた。1862年のポンドを現代の価値に換算してくれるサイトを見つけた。諸説あるが10万ポンドは1,555万ポンド(約28億円)と出た。不良イギリス人1人の命が28億円に大化けした。ウッシッシだ。
▶イギリス本国は満足したが現場の連中は薩摩もチョロいと判断した。賠償金2万5000ポンド(7億円)と犯人引渡しを求め戦艦7隻が意気揚々と錦江湾に入った。薩英戦争だ。火力の差は圧倒的だったが英艦隊にとって交戦は想定外。強風に煽られて操船アタフタ。薩摩砲台射程内に迷い込み砲弾をバカスカ浴びた。結果、イギリス側は死者20名、負傷者は43名を出す大惨事。その後、両者は和睦して薩摩は幕府から借りて2万5000ポンドの見舞金を払った。薩摩は後に借金を踏み倒した。幕府だけトホホ。人的損害だけを見るとイギリス側の被害は薩摩のそれを遥かに上回った。10万ポンドで満足しておけば良かったのに2万5000ポンドのボーナスを欲張ったイギリスは戦闘員20名を失った。ウッシッシはショボンになった。同時にイギリスはこの戦争で「幕府は屁タレだが薩摩は強い」を知った。以降イギリスは薩摩、そして長州に接近していく。ってなあたりで次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1308(2023年9月14日)掲載
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