
■ 第185話 ■全英が感動したヤバい演説
▶イギリスが絶頂を極めたヴィクトリア期。大英帝国の栄華を演出した一人は間違いなくパーマストン子爵だ。本名ヘンリー・ジョン・テンプル。1831年から65年までの間、外相や首相としてパックス・ブリタニカの前半を牽引した。ヨーロッパは各地で火種がくすぶっていたけど、優れた外交手腕を発揮して各国の利害関係を調整した。根底にあるのはイギリスの国益と英国民の利益。それを守るために時に強硬な外交姿勢を貫いた。パーマストン卿は非ヨーロッパで鎖国状態にある国には砲艦外交で開国を迫り、不平等条約を押し付けて自由貿易を強要した。そしていつの間にか大英帝国に組み込む「自由貿易帝国主義」を展開した。
▶これが最も分かりやすい形で出現したのが1840年に勃発した「アヘン戦争」だ。アヘン貿易の実態を知った議員は「さすがに正義がなさ過ぎる」と呆れ、心ある議員の多くが開戦に反対した。しかし在清英国人保護を主張したパーマストン卿は艦隊派遣を辛うじて可決させ、あっという間に清を粉砕した。得たものが予想以上に大きかったので反対していた議員たちも困っちゃった、黙っちゃった。
▶1850年。ジブラルタル出身で英国籍だったユダヤ商人ドン・パシフィコのアテネの邸宅が反ユダヤ主義の暴徒に襲われ財産を強奪された。パシフィコはギリシャ政府に賠償を求めたが退けられ英外務省に泣きついた。ジブラルタル出身のユダヤ商人。本来、英政府が動く案件ではない。ただこの時イギリスはイオニア諸島の領有権でギリシャと揉めていた。更にロスチャイルドが裏で動いたとも言われている。パーマストン外相は艦隊を派遣してギリシャ政府を恫喝した。驚いたギリシャ政府はパシフィコへの賠償とイオニア諸島明け渡しを約束した。英議会では誰もがこれを「やり過ぎだ」と批判した。女王も「一個人の利益のために国家を危険に晒しちゃダメ!」と激おこ。貴族院はパーマストン卿の不信任案を可決。後の首相グラッドストンも激しくパーマストン卿を非難。卿は窮地に立たされた。

▶6月末、答弁に立ったパーマストン卿は英国史に残る演説をぶちかました。「古代ローマ人は『私はローマ市民だ』と言えば侮辱を受けずに済んだ。英国臣民もまた、世界のどこにいようともイングランドの眼と強大な力が不正と誤りから守ってくれると確信できるべきである」。イギリスを古代ローマと並べ称えたこの演説は議員たちの自尊心をコチョコチョとくすぐり、愛国心爆上がり。野党側も感動してトーンダウン。政敵グラッドストンでさえ「並外れた演説」と称賛した。形勢逆転。オセロの盤面が一気に黒から白になった。庶民院で卿の不信任案は否決された。耳に心地よい演説は英国民をも熱狂させた。これが「ドン・パシフィコ事件」だ。ギリシャ、お気の毒。
▶パーマストン卿の演説はイギリス国民に選民思想的な感情を植え付けた可能性がある。6年後、期待通りに市場を開放しない清に「我が国の国旗を侮辱した」など難癖つけてアヘン戦争パート2を仕掛けた。清は再びボコボコにされた。お気の毒。ヴィクトリア女王もさすがに眉をひそめた。しかし強硬な砲艦外交がイギリスにもたらす国益の大きさにやがて沈黙した。7年後の1862年、「ドン・パシフィコ事件」を再現してもう一儲けする好機が訪れた。今度の相手はパーマストン卿がどこにあるかすら知らなかった日本だった。ってなこって次号に続く。チャンネルはそのままだ。
週刊ジャーニー No.1307(2023年9月7日)掲載
他のグダグダ雑記帳を読む