
■ 第160話 ■マルティン・ルターの色んな顔
▶ヘンリー8世が創始したイングランド国教会。ローマ教皇庁と対立して始まったものだ。なのでキリスト教をカトリックとプロテスタントの2派に大別すると国教会はプロテスタント側ということになる。しかしヘンリーはマルティン・ルターやジャン・カルヴァンのように当時のカトリック教会の腐敗を憂いて敢然と立ちあがった訳じゃない。むしろヘンリーは熱烈なカトリック支持者だった。ルターが有名な「95か条の論題」を発表するとそれを攻撃する論文を発表した。ローマ教皇に「ユー、可愛いじゃん」と褒められ「信仰の擁護者」の称号まで与えられてウヒヒーとご満悦。ところが数年後、自身の離婚問題が発生。ヘンリーは教皇に「離婚したいでーす」と申し出たが許可が下りないので「もういいでーす」と強引に始めたのがイングランド国教会。教皇はヘンリーを破門。脱ローマを果たしたヘンリーだったけど、カトリックの教義に異論なし。なのでしばらくの間、イングランド国教会とはトップが教皇から王様にすげ替わっただけで教義はほとんどカトリックと変わらなかった。
▶16世紀初めにドイツで始まった宗教改革。主役は前出のルターできっかけは贖宥状だ。学校では「免罪符」と習ったが今では「贖宥状」と呼ぶらしい。贖宥状が発売されるまで、超ざっくり言えば人の罪とは悔い反省し、告白し、償うことで軽減された。ところがこの贖宥状は「買えば誰でも罪が軽減される」という触れ込みで売り出された。金払えば罪が軽くなって地獄行きを免れるってんだからそりゃ売れる。一体誰がこんな霊感商法考え出したんだ? ある権力好きの司教がさらに上のクラスの司教職につきたくて、叙任権のあるローマ教皇庁に多額の献金をしようと目論んだ。マインツ大司教アルブレヒトだ。表向きの理由は「贖宥状のお代はサン・ピエトロ大聖堂の改修費にあてられる」とした。人々は「ご本尊改修のお役に立てる上に罪も軽減される。サイコーッ!」ってんで贖宥状はバカスカ売れた。

▶「それ、だめじゃん!」と立ち上がったのがルター。贖宥状販売などを批判した質問状「95か条の論題」を教会門扉に貼りだした。この時点でルター自身、まさかこれが後に血で血を洗う宗教戦争に発展するとは思っていない。それどころか彼はこの質問状をラテン語で執筆していた。当時、ラテン語を読めたのは聖職者かよほど学のある諸侯や貴族程度。つまり、国民には読めないようにして穏便に改善を促した。「贖宥状が売れなくなっちゃうじゃん」。焦ったアルブレヒトは教皇庁に「ヤバい奴がいますぜ。一刻も早くとっ捕まえたほうがいいですぜ」と進言。身の危険を感じたルターは逃亡し、有力選帝侯の庇護を受けることとなった。隠遁中、ルターは新約聖書のドイツ語訳を行った。ドイツ語聖書はSNSもないのにあっという間にドイツ中に拡散された。
▶ルターはローマ教皇から破門された。ある意味、ルターほどカトリックの教義と真摯に向き合い、将来を案じていた人物はいなかったかもしれない。そんなルターをカトリックは危険人物とみなし、追い詰めた。「贖宥状、やめてくれたらそれで良かったのに、なんでこうなるの?」と嘆きつつ、気付けばカトリックに抗議する人たち(プロテスタント)のリーダーになっちゃった。ここまでだとルターって、何となくいい人っぽく見えちゃう。でも本当にそう? 実は彼にはもっと別の顔がある。てなこって次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。
週刊ジャーニー No.1282(2023年3月16日)掲載
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