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■ 第136話 ■昔も今もロシアのやり口一緒説

▶前号では掛川藩を脱藩してロシアに渡った増田甲斎という男の話をした。増田をロシアまで連れて行った通訳官ヨシフ・ゴシケーヴィチ。1958年、初代駐日領事となり函館領事館に6年ほど勤務したベラルーシ人。この男のことを調べていたら今のウクライナ情勢にも通じる腹立たしい幕末の出来事に出くわしたので毎度のごとく知ったかぶりでGO

▶遣米使節団がアメリカを訪れたのは1860年。1回目の遣欧使節がヨーロッパを訪問したのが1862年。この出来事はまさにその間の1861年に起こった。3月14日、対馬に突如ロシア海軍軍艦ポサドニックが来て浅茅(あそう)湾内に侵入した。艦長はニコライ・ビリリョフ中尉(32)。ロシア海軍中国海域艦隊司令官は「対馬って我が艦隊の基地に良くね?」と勝手なことを言った。ロシア外務省は「日本との関係が悪化するからダメ~」と却下。ところがロシア海軍大臣コンスタンチン・ニコラエヴィチは皇帝ニコライ2世の弟。ニコラエヴィチは「借りるだけだもん」と駄々こねた。皇帝の弟にして海軍大臣。反論できる者なし。海軍大臣のお墨付きを得たロシア軍艦は堂々と湾内に入った。海軍の暴走だ。藩主宗義和は重臣らを現場に急派し速やかなる退去を命じた。ところがビリリョフ艦長は「艦が壊れたので修理したい。修理工場の建設資材と食料、あと遊女もくれ」と要求した。遊女? 差し出す訳ないだろ。回答を待つ間、ロシア兵は許可なく上陸した上に勝手に兵舎や練兵場の建設を始めた。

ゴシケーヴィチ
ゴシケーヴィチですが、 何か?

▶対馬藩では対応を巡って穏健派と強硬派が対立、混乱した。その間にロシア兵の傍若無人ぶりはエスカレートして住民との衝突が絶えなかった。そして4月12日、ロシア短艇が強引に水門突破。制止しようとした対馬藩の農兵が射殺され、さらに捕虜となった2人のうちの1人が舌を嚙んで死んだ。死者が出たことで反省するかと思えばロシア兵の悪行はむしろ加速。番所を襲撃して武器を奪うと住民を拉致し、牛7頭を強奪。村を襲って略奪行為を働き、婦女子を追いかけ回した。まさに鬼畜の所業。さすがに幕府が動き出し、先述のゴシケーヴィチ領事にポサドニック退去を要求。知日派とは言えゴシケーヴィチもロシア人。「善処しま~す」とトボケた。アメリカ帰りの外国奉行、小栗忠順(ただまさ)が派遣され、状況を確かめた後に江戸へ戻った。幕府はロシア政府に抗議し撤退を求めたがビリリョフは藩主に対し対馬の永久租借を要求した。その見返りとして大砲50門進呈に加え「イギリスのような悪い国から守ってあげる」だって。永久租借の対価がたった大砲50門ってロシア式ジョーク? 悪い国はアンタだっちゅ~の。

▶他国外交団が動き始めたことを察知したロシア外務省、さすがにビリリョフに撤退を命令。幕府から要請を受けた英艦隊も「悪い子はいねがー」と対馬入り。ロシア艦隊はヤベッとようやく立ち去った。ありがとうイギリスさん。本当はイギリスこそ対馬を狙っていたっていたことはみんなに内緒にしておくね。これが「ロシア軍艦対馬占領事件」。まずは庇(ひさし)を借りて既成事実を作り、その後母屋(おもや)を狙う。典型的領土強奪作戦。今、クリミア半島やウクライナで起きていることとそっくり。国体色々変われどやり口は同じ。もはやロシアのお家芸。翌年ロシアにやってきた遣欧使節団を手厚く迎えたのは悪化した両国の、関係改善の狙いもあったのかもねと疑ったところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1256(2022年9月8日)掲載

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