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■ 第134話 ■風車の国で、しょうゆーこと

▶クラリッジホテルに投宿した遣欧使節と随行員計38名は約1ヵ月半をロンドンで過ごした。この世にはまだ「イギリスの飯はまずい」と語る不可解な人が大勢いる。筆者はそれがいかに間違った固定概念であるかを説き、正しい道に導くため、このコラムを始めた。それ以来「味覚喪失者」とか「大英帝国の工作員」とか、いわれなき誹謗中傷を受け、家族・知人・友人・愛人全て去り、孤独と闘う日々が続いている。今ですら「まずい」と言われているんだから160年も前にイギリスを訪れた幕臣たちはどうしたんだろうと思ったが、心配には及ばなかった。なんせ一行はスリランカや中東諸国を経由し強烈なスパイスや動物臭の強い肉や脂の洗礼を受けながらヨーロッパに辿り着いた。ほとんどの日本人が牛、豚、羊を食べたことがなくバターすらケモノ臭いと閉口した。そういう意味でヨーロッパ到着までに彼らの味覚はかなり鍛えられていた。1ヵ月半のフランス滞在で肉料理や油っこいレシピにも随分慣れた。そして次に辿り着いたイギリス。数々の試練を乗り越えてマッチョになった味覚に、もはや乗り越えられない味はなかった。

▶随行員の日記によると一行が滞在したクラリッジホテルは遣欧使節をもてなすにあたり、和食モドキの料理も準備していた。例えばサバの塩焼きにカレイやヒラメの煮物に天ぷら。茹でたイモなどが添えられていた。ロブスターや黒鯛なんかも出た。毎食欠かさず米も炊かれた。食材だけで言えばしょう油さえあったら何とかイケそうだ。ホームステイでイギリスに来た日本の若者たちの食事あるある話の方がよっぽど涙を誘うぞ。フランス滞在以来、ホテルのキッチンで生魚を分けてもらいサシミにして食べることを覚えた人たちもこの頃には「もはや生魚にも飽き…」なんて贅沢なことを書き残している始末。一方でこの先、一行を迎える予定のプロシアの外交官は遣欧使節の好みを「日本人はほぼ何でも食う。特にロシア風の食事を好んで食う」と本国にレポートしていた。イギリスで美味しかったのはロシア飯って。イギリス飯、やっぱダメでしたか? イギリス飯を汗だくで擁護している筆者をコーナーに追い詰める困った資料だ。

さんま
サンマの塩焼きですが、何か?

▶次に向かったオランダでは不思議なことが起こった。200年以上鎖国していた日本だが、西洋で唯一交易が許されていたのがオランダ。日本との関係も深く、一行は大変な歓迎を受けた。ここでもまた日本人が飽きないようにと和食モドキ料理がふるまわれた。一方、シャンパン瓶に詰めた500本のしょう油の残りがわずかとなっていた。日本を出てすぐ、ミソ棄てられちゃったからね。ある日、ハーグ市内を一行が歩いていると日章旗を掲げた「日本屋」という店があった。そこで本物の日本産しょう油が売られていた。一行は「誰が買うんじゃ?」と驚きつつ50瓶を購入した。かなり高価だったが砂漠でビールの自販機見っけたようなもの。買うに決まっている。経費だし。

▶この後、プロシアに移動して政府との交渉を終えた一行は、次の目的地、ロシアのサンクトペテルブルクに向かった。彼らを歓迎する晩さん会にはこれまでの和食モドキ料理と違い本物の和食が提供された。一行は「まさかロシアでこれほど完璧な和食にありつけるとは」と久しぶりの故郷の味に舌鼓を打った。その様子を厨房の柱に身を隠しながら嬉しそうに見つめる男がいた。一体誰? ってなところで次号に続くぜ。チャンネルはそのままだぜ。

参考:熊田忠雄著「拙者は食えん! サムライ洋食事始」他。

週刊ジャーニー No.1254(2022年8月25日)掲載

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