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■ 第115話 ■幕末、横浜に英銀ウヨウヨ、なぜ?

▶「竜馬がゆく」から「坂の上の雲」まで、司馬遼太郎氏の著書を愛読して来た筆者は、幕末明治のことをある程度知っているつもりだった。ところがこの時期の日本史と欧米史を時系列に沿って抽出し、丁寧に重ね合わせていくと、これまでと全く違う明治維新像が3D映像のように浮かび上がって来てしまった。結局、知っていたつもりだったのは司馬史観でしかなかった。3D明治維新を可能な限り言葉に紡いでいこうと思う。とか言いながら結局は薄っぺらいグダグダ話に終始する予定。

▶娘の結婚を通してロスチャイルド家とガッツリ繋がったペリー提督が黒船4隻を率いて浦賀に現れたのは1853年のこと。その5年後、日本は英米と修好通商条約を交わした。翌1859年、ロスチャイルド家の代理人商社「ジャーディン・マセソン商会」が横浜に進出、外資系企業第1号となった。同社の新人社員だったトーマス・グラバー(21)は長崎に向かった。ジャーディン・マセソン商会とは清にアヘン戦争を仕掛けた張本人。正義のかけらもない汚い戦争で英議会も紛糾した。しかし上がった利益が莫大だったため「まぁ、いいか」と追認した。ジャーディン・マセソン商会が横浜にやって来た時点では恐らく貿易が目的だったはずだ。同商会が横浜にオフィスを構えた翌年の1860年3月、大老井伊直弼が桜田門外で殺された。1862年9月には生麦事件が発生し、さらに翌年1月には高杉晋作らが英国公使館を焼き討ち。7月には生麦事件の報復として薩英戦争が勃発。徳川の世が荒れて来た。

井伊直弼
殺られちまった井伊直弼ですが、何か?

▶薩摩とイギリスがドンパチやっている最中の1863年3月、セントラルバンク・オブ・ウエスタン・インディアと言う英系銀行の横浜支店が開業した。日本最初の外資系銀行だ。翌4月、チャータード・マーカンタイル銀行も進出してきた。この2ヵ月後、伊藤博文や井上馨ら長州ファイブの面々がイギリスに向けて出港。その4ヵ月後にはコマーシャル・バンク。さらに翌年、東洋最強と言われたオリエンタル・バンクが横浜にやってきた。一方、1865年には19人の薩摩藩エリートが英国留学に向かった。同年、バンク・オブ・ヒンドスタンが。そして翌1866年、遂に香港上海銀行(現HSBC)がやって来た。以上6行、全て英系の銀行だ。日本にまだ銀行がなかった時代。便利で助かりま~す…と感謝している場合じゃない事態。

▶なぜイギリスの銀行が先を争うように日本に進出して来たのか。しかも日本は大老が暗殺され、異人が攘夷派にバッサズッパと斬られる激ヤバな時代。進出のタイミングとしては最悪に見える。しかし彼らの目にはこれが最高のタイミングと映っていた。初めは貿易のためだったかもしれない。しかしペリー来航以来、日本では尊王攘夷と言う巨大な地殻変動が起こった。地下深く溜まったエネルギーはやがて地表に噴出し、倒幕に向けて大爆発を引き起こす。ひとたび戦争ともなれば銀行や商社にとって莫大な利益を上げる千載一遇の好機となる。近代戦が始まれば武器弾薬や軍艦が飛ぶように売れる。幕府、倒幕両側が金貸して~と寄ってくる。長年世界中で戦争を引き起こしてはデップリ丸太りしてきた欧米の銀行はマッチポンプ式資金調達のプロ集団。血の匂いに敏感な英系の商社や銀行が他国に先駆けて横浜にウヨウヨ集まり、獲物を囲んでグルグル回遊し始めた。彼らの舌なめずりの音がペロリンと聞こえて来たところで次号に続く。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1235(2022年4月14日)掲載

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