gudaguda_title.jpg

■ 第64話 ■火薬一樽、娘50人也

▼秀吉の天下統一が目前に迫っていた頃、九州では戦国大名たちが抗争を繰り広げていた。圧倒的な勢いを持っていたのは薩摩の島津氏。豊後のキリシタン大名、大友宗麟が秀吉に仲裁を求めたことで秀吉は九州に兵を送り、これを平定した。やれやれと思った秀吉だったが、筑前箱崎(現福岡市)滞在中に長崎がイエズス会の所領になっていることや日本人が奴隷として異国に売り飛ばされているという報告を受け「な~にやってんだがね」と激オコ。秀吉はすぐさまバテレン追放令を発布し、キリスト教の布教を禁じた。1587年のことだ。

▼秀吉は側近から「南蛮人が日本人数百人、男女を問わず買い上げ、鎖で手足を縛った上、船底に押し込めていた。地獄の呵責よりも酷い。日本人はその様子を学び、子を売り、親を売り、妻女を売る。彼らは牛馬を生きたまま皮をはぎ、坊主(司祭)も弟子も手づかみで食らう」と報告を受けた。ポルトガル人は牛馬を食べた。しかし当時の日本人にとって牛馬とは農耕や運搬のための道具。「なんで貴重な耕運機やトラクター食っちまうんだ」という話だ。

日本で積み荷を降ろす南蛮人ですが、何か?

▼肉食は置いておくとして、着目すべきは多くの日本人がポルトガル商人に売り飛ばされ、鎖に繋がれた状態で狭くて暗い船底に押し込められて異国に連れ去れたという記述だ。日本に奴隷など存在したの~? と思う人もいるかもしれないが、残念ながらこれは史実だ。そしてポルトガル人らが西アフリカから黒人奴隷をアメリカに運んだやり方同様、まさに家畜扱いの下劣な方法で日本人をインドのゴアやマラッカ、そして遠くはポルトガル本国まで運んではせっせと売り捌いた。一部は教皇のいるローマにも献上された。若い男たちは労働力として、あるいは傭兵として売られた。女性は勤勉で従順だったため非常に高値で取引された。そのほとんどが性奴隷とされたことは想像に難くない。飽きられると商人に仕える黒人奴隷や現地人に与えられ、慰み者とされたという。奴隷とされた人々は一体どういう人たちだったのか。この時に限って言えば、九州の騒乱で戦場となった豊後で生け捕りにされた人たちが多かった。いわゆる戦利品だが、戦乱によって駆り出された農民も多数犠牲となり、田畑も荒れて食糧難となった。せっかく掠めてきた戦利品だったがむしろ重荷となった。そのため多くが二束三文で奴隷商人に売り飛ばされた。

▼それとは全く別の目的で売られた若い娘たちが大勢いた。戦国大名たちは戦いに備えてせっせと火縄銃を揃えた。前号で語ったように日本は火縄銃が種子島に届いた翌年には国産化に成功。あっという間に大量生産するに至ったが、黒色火薬の主要な成分である硝石の製造方法が分からなかった。硝石(硝酸カリウム)は人を含む動物の排泄物を土中の微生物が分解することで出来る窒素化合物だ。従って知識があり、環境さえ整えてやればあなたも私も自前の排泄物を使って硝石を作ることができる。しかしこの当時、その知識がない。よってポルトガル商人から買うしか方法がなかった。ポルトガル商人は大名らの足元を見た。樽1個分の硝石に対して娘50人を要求した。こうしてウンチやオシッコから出来る原価ゼロに等しい硝石と引き換えに、大量の無垢な娘たちがまさに二束三文で海外へと売られて行った。そしてそのほとんどが、二度と祖国の地を踏むことはなかった。あまりに気の毒で秀吉じゃなくても腹が立つ。バテレン追放当然だ! と怒りつつ次号に続くぜ。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1184(2021年4月15日)掲載

他のグダグダ雑記帳を読む