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■ 第58話 ■東郷茂徳と朴茂徳

▼しばらく話題の中心がヨーロッパになっちゃったけど、久しぶりに日本に戻るぜ。ある日、東京裁判のことを調べていて開戦時と終戦時に外務大臣を務めていた東郷茂徳に行き当たった。1枚の写真が気になっていた。東郷の横に佇む白人女性がいた。妻だと分かった。ユダヤ系ドイツ人で名はエディータ。夫婦には「いせ」という一人娘がいた。

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▼あまり資料がないのでウィキペディアから引用するとエディータはドイツ貴族の私生児として生まれたらしい。両親が早くに亡くなったため叔母夫婦の養女となった。15歳の時、日本駐在となった銀行員の養父と共に来日したが養父が急逝。養母が神戸で無許可の民宿を営み、何とか食い繋いだという。17歳の時に16歳年上のユダヤ人建築家と結婚し、5人の子をもうけたが夫が急逝、ドイツに帰国した。その後ベルリンに赴任してきた東郷と出会って恋に落ちた。東郷が帰国すると子どもたちを預けて単身日本に渡り、東郷と結婚した。駐在員の養父が急死して養母がもぐりの民宿経営? 5人の子どもを置き去りにして日本? 行動が謎だらけだけど、筆者が興味を持ったのは東郷茂徳の横に添 えられたもう一つの名前、「朴茂徳」だ。パク・シゲノリ? 一体何者?

▼1616年、有田で日本初の磁器が焼かれたと以前述べたが、焼いたのは秀吉の朝鮮出征時に半島から連れて来られた陶工、李参平だった。東郷の祖先も島津軍に捕まり薩摩に連行されて来た朝鮮人だった。有田や伊万里を有する鍋島藩に連れて来られた朝鮮人陶工らは日本名を名乗り、江戸時代には日本に溶け込んでいった。ところが薩摩藩では連行してきた朝鮮人陶工を各地で隔離。やがて苗代川(なえしろがわ)村1ヵ所に集めて封印し、陶磁器を焼かせた。朝鮮の風俗をそのまま維持するよう命じ、日本名を名乗ることも日本式の衣服を着ることも、日本人との結婚も禁じた。一方で薩摩藩は彼らに危害を加えようとする日本人には厳罰をもって臨むという保護と統制の2本立てで朝鮮人を管理した。苗代川村の窯場は藩主向けの御用窯として発展し、華美な絵付けを施した作品は白薩摩と呼ばれる。

東郷茂徳(中央)とエディータ(右)、左奥が娘いせ
東郷茂徳(中央)とエディータ(右)、左奥が娘いせですが、何か?

▼明治になってようやく日本名を名乗ることが許され、朴家は東郷姓の家禄を購入。4歳の時、朴茂徳は東郷茂徳となった。東郷は東京帝国大学に進学し、ドイツ文学を専攻した。卒業後は外務省に入省してベルリンに赴任。そこで後の妻となるエディータと出会うことになる。ドイツ大使やソ連大使を務めた後に外務大臣となり、日米開戦回避に尽力したが及ばず、敗戦間際に再び外務大臣に抜擢されて交渉にあたった。東京裁判でA級戦犯とされ禁固20年が言い渡されたが1950年に獄中にて病死した。享年67。エディータは1967年まで生き、80歳で亡くなった。

▼秀吉の朝鮮出征は失敗だったが、半島から連れてきた朝鮮人陶工たちが日本の陶磁器に新風を吹き込んだ。多くの人がそのまま日本に留まり、長い年月をかけて日本人になった。その子孫から外務大臣になる人物まで現れた。個人的にとても興味深かったのでグダグダ書いちゃった。戦後最悪と言われる昨今の日韓関係だが、両国には決して消せない深い関わりがある。「デリケートな話題だからそれ以上語るな」と言うかのように紙面が尽きた。今週はこの辺にしといたらぁ。次号まで、チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1178(2021年3月4日)掲載

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