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■ 第43話 ■
ザビエル「光と影」の影の方

▼ザビエルが生まれる少し前のイベリア半島。レコンキスタもクライマックスを迎えていた1469年、カスティーリャ王国の女王イザベル1世とアラゴン王国のフェルナンド2世が結婚し、統一国家スペインが誕生した。しかし敵対していた2国が政略的にくっついた以上、すぐにみんな仲良しって訳にはいかない。東京第一銀行と産業中央銀行が合併してできたメガバンク、東京中央銀行だって合併後の勢力争いは10倍返しだの1000倍返しだの凄まじかったしね。半沢直樹の話だけど。

▼合併後、国内融和を急いだスペインは「接着剤」としてキリスト教を利用した。しかし国内情勢はなかなか安定しなかった。そこで今度は共通の「敵」を作ることで両国民の心を一つにしようと試みた。選ばれたのがユダヤ人とイスラム教徒だった。最後のイスラム勢力、グラナダが陥落した後もイベリア半島にはキリスト教に改宗したユダヤ教徒やイスラム教徒が大勢残留していた。彼らは改宗ユダヤ教徒や改宗イスラム教徒と呼ばれていた。その中には表向きはキリスト教徒を装いながらも実際にはユダヤ教やイスラム教の教義を棄てていない者も多数いた。新国家スペインは彼らに目を付け、ローマ教皇の反対を押し切って半ば強引に独自の異端審問所を開設。疑いのある者をしょっぴいては裁判にかけ、異端とされた多くの人が火刑に処された。これがポルトガルにも飛び火した。ひでえ話。

もう一回ザビエルですけど、何か?

▼ザビエルが属していたイエズス会はポルトガル国王の庇護のもとで活動を開始した。海外布教には渡航費や滞在費、食費等々莫大なコストがかかる。その費用をポルトガルが負担する。しかし出資には布教活動とは別にもう一つの条件があった。布教先での諜報活動、つまりスパイだ。インドのゴアで布教していたザビエルもアジア各国の情勢を細かに国元に送った。当時のゴアにも本国での迫害を逃れてきていた改宗ユダヤ教徒や改宗イスラム教徒が多数暮らしていた。ザビエルは、ポルトガル王ジョアン3世に宛てた報告書の中で、ゴアにも異端審問所を開設すべきと進言した。ポルトガルはザビエルの提案を受け、ザビエルの死から数年後、ゴアに異端審問所を開設。異端とされた多数の旧ユダヤ教徒が火刑に処せられた。異質なものに不寛容だったカトリック。ザビエルも決して例外ではなく、間接的とは言え多くのユダヤ人を死に追いやった。これが聖人ザビエル「光と影」の「影」の部分だ。なんせ聖人だから、あんまり表に出しちゃいけない話みたいなんだけどね。

▼ところでザビエルが見た日本はどんな国だったのだろうか。ザビエルが来日したのは1549年。まもなく川中島の戦いや桶狭間の戦いが勃発する戦国時代のど真ん中だった。スペインやポルトガルが中南米やアジア各地で大暴れして来た中、日本に辿り着いたザビエルが教養ある戦国武士たちを見て「あれ、他と違う」と思ったことは間違いなさそうだ。事実「日本人より優れた人々は異教徒の中で見つけられない。親しみやすく善良で悪意がない上、驚くほど名誉心が強い。知的レベルが高いので優秀な宣教師でなければ日本での布教は苦戦するだろう」的なことを書き残している。そしてスペイン国王に「日本占領を企てないよう」進言した記録も残っているという。光と影のある人物だけど日本人の性質を絶賛していたようだから、多少の影には目をつむりつつ次号につづく。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1163(2020年11月12日)掲載

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