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■ 第42話 ■
ザビエル「光と影」の光の方

▼ザビエルはマラッカで、殺人を犯して海外逃亡中だったアンジロー(弥次郎)という薩摩出身の日本人と出会った。ザビエルはアンジローの手引きで1549年8月、薩摩に上陸。藩の許可を得て布教を開始。翌年、長崎の平戸に移動した。インドでは身分の低い者から布教してまわったためうまくいかなかった。そのため「まずは上の方から攻めてトップダウン式に拡散しないとダメかも」と反省。だったら一番上の人、ってことで国王(天皇)に謁見しようとした。途中、山口で数ヵ月布教した後、アポなし、ツテなし、現地情報なんもなしの状態で海路、堺に入り京都を目指した。

▼たどり着いた京都は荒廃していた。応仁の乱で焼け野原となった京都はまだ復興半ばだった。しょんぼりザビエルは1551年3月、天皇への面会を諦めて平戸に戻り、再び山口に赴いて布教を続行。その後、豊後(大分)でも活動を続けた。日本での布教活動は困難を極めた。そこでザビエルは考えた。「日本人は中国が大好きで、大陸から来るものに弱いらしい」。日本が太古より中国の文明に憧れ、これを吸収して発展してきたのは事実だ。「だったらまず明をキリスト教化して、ほら君らの大好きな明が信仰しているキリスト教だよ~と言えばもっと簡単に広まるんじゃないか?」と考え、日本上陸からわずか2年3ヵ月後の1552年11月、明を目指して日本を去った。ところが明は鎖国中。簡単に入れてもらえず、マカオに近い上川島で許可待ちしている時に病にかかって死んだ。46歳だった。なんか、行き当たりばったり感が半端ないぞ。

ザビエルですけど、何か?

▼かいつまんでアジアや日本での活動ぶりを挙げたけど、これを更に高速早送りで言えば、インドで布教活動に行き詰っていた時に日本人と会い、「僕も行くー」と来日。天皇にアポなし突撃謁見を試みてあえなく轟沈。その後、娘おとすならまず親からってな感じで明に向かったけど親には会えず、そうこうしているうちに病気になって死んじゃったってことになる。行動力はあるが計画性に乏しく場当たり的な上、とても短絡的な人にさえ見える。ザビエルがカトリック教徒の中で立派な人になるのはむしろ死んだあとのようだ。というのもザビエルの亡骸をゴアに移そうと墓を掘り返したところ、遺体はなぜか腐ることも白骨化することもなくほぼ生前の姿を保っていたという。さらに死後50年経過してから遺骨分与のため腕を切断したところ鮮血がほとばしったとされる。これらの奇跡は聖人の証とされた。奇跡は宗教の必須アイテム。そんなこんなでザビエルは聖人になった。

▼日本にキリスト教を最初に伝えたのはザビエルで間違いないのだろう。彼が日本で布教活動をしたのはわずか2年3ヵ月。この間、信者を増やすという点だけを見ればさほどの成果は上げられなかった。しかし、その後続々とやって来る宣教師たちのために重い扉をこじ開ける大切な役目を果たしたことは疑う余地がない。一方この頃、ポルトガル人やスペイン人はカリブ海や中南米、そしてアジア各地で先住民族を虐殺し、蹂躙しまくっていた。日本に来たザビエルの本当の目的は純粋に布教活動だったのか。来日する前の、インドにおけるザビエルの行動を知ることで、彼の本質にもう少しだけ近づくことができるかもしれない。次号ではザビエルの「光」に隠れた「影」を追う。チャンネルはそのままだぜ。

週刊ジャーニー No.1162(2020年11月5日)掲載

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