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■ 第15話 ■
志村けんさんを想う

▼志村けんさんが死んじゃった。今も動画サイトでバカ殿や変なおじさん観て泣き笑いしている。コロナの不安に人の心も荒んでいる。誰が何した何言ったと責め立てる。感染した芸能人やキャスターを自覚が足りないと非難する。気をつけていたっていつの間にか感染する。それがウイルスなんだっつの。負の感情が芽生えたら志村さんを観て笑っている。

▼志村さんの何が好きなんだろう。ビートたけしやタモリ、ダウンタウンの松本人志。エンタメの世界で成功を収めた人たちでいずれも好きな方々だ。しかし最近は純粋にお笑いの人ではなく文化人、教養人の域に達した人もいる。そういうことと無縁なところ、等身大のコメディアンであり続けた志村さん。だから皆に愛された。

▼「セクハラ」「下ネタ」「食べ物を粗末に扱う」等々、80年代から90年代にかけての志村さんのお笑いは今のテレビではやれないことに溢れている。一体何がいけないのだろう。ドリフターズや志村さんのコントが公序良俗に反するのであれば、その笑いで育った今の大人たちはみな不道徳なロクデナシばかりなの? 人間はもっと賢い。ドリフや志村さんのおふざけやお笑いを実社会で実践する大人はそういない。いたとしたら志村さんらのコントとは無関係の、もともと救いようのない愚かな連中だ。

▼志村さんのコントは学ぶところの少ないナンセンスものがほとんどだ。しかし下らないとは思わない。あれもダメ、これもダメと難癖つけ、テレビや社会から危ういものを根こそぎ排除しようとする昨今の風潮はつまらない。酒をうまくするのだって不純物(雑味)だ。子どもが真似するからという人がいる。子どもは成長の過程で分別を自ら学んで身に着けていく。危うきものを子どもの前から全て排除してしまうのは、子どもから自分で判断する機会を奪い、成長を妨げるむしろ危険な行為だ。抗菌抗菌と大騒ぎするから抗体や免疫を持たない子が増えている。

▼あの頃は良かった、昭和は良かったと過去を懐かしむことがある。もう2度とその頃に戻れないことを知った上での切ない溜息だ。しかし今って本当に昔より素敵な世の中なの? 色々便利になったけど、あれダメこれダメあまりに多く、清潔過ぎて窮屈だ。清流は見目麗しいけど下流の方が養分豊富で魚も多い。本当にあの頃が良かったのなら戻ってもいいんじゃないの? 志村さんが最もイキイキしていた80年代に。そんなこんなブツブツ言いつつ今夜も「だいじょうぶだぁ」を観て笑う。

▼コロナ禍はやがて終息する。そして“コロナ後”という新しい時代が幕を開ける。でもそこに志村けんさんはいない。コロナが心から憎い。けんちゃん大好きありがとう。そしてさようなら。

週刊ジャーニー No.1135(2020年4月30日)掲載