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■ 第7話 ■
美食のローマ軍がキターッ...のに~

▼紀元前58年頃、ローマ帝国のカエサルが軍を率いてアルプス山脈の北側に広がるガリア(ケルト)に遠征を開始した。大陸にいたケルト人はほぼローマに取り込まれた。カエサルはブリテン島にもやってきた。彼自身はブリテン島を制圧するまでには至らなかったが後続のローマ軍はケルト人を駆逐した。降伏してローマ化する部族もあったが、多くは今でいうイングランド最西端のコンウォールやウェールズ、マン島やスコットランド、アイルランドに逃げ延びた。コンウォールからこぼれ落ちた人たちは舟に乗って南に逃走した。彼らは現フランスの北西海岸に辿り着いて住み着いた。その地方はブリテンを語源とするブルターニュ地方と呼ばれ、今もケルト文化をわずかに継承している。

▼ブリテン島はその一部がローマ帝国の飛び地となった。南海岸部はケルト人が森を切り拓いて豊かな穀倉地帯としていたため、ローマ人にとって魅力的な土地だった。そこで大量の軍人兼開拓民を移植した。ローマ人とは大浴場でのどかに社交する連中だ。貴族の間では当然美食も進んでいた。脳が美味しいものをいっぱい記憶しちゃったローマ人は当然、ブリテン島で採れる食材だけでは満足できない。大陸から大量に食材の種を持ち込んだ。

▼ブリテン島には赤鹿やイノシシ、狼などがいて野生化していた。ローマ人はそこに孔雀やホロホロ鳥、ハト、キジ、雁、ウサギやヤマネなどを持ち込んで増やした。沼地に棲息するウナギを食べた。川では天然のサーモンやマス、パーチやパイク、海ではタイなどを捕まえた。ケントのウィツタブル等で採れる牡蠣は当時からローマ人の間でも有名で、これを養殖し、生きたまま本国へも送った。

▼各地にヴィラ(村落)を作り、ワイン作りのためブドウの木を植えた。ローマ人に人気だった肉用ソースはマスタードソースだった。そのためホワイトマスタードの種を植えた。アーモンドやチェリー、マルメロ、桃やセイヨウカリンの木を植えた。パセリやディル、コリアンダーやセロリなどハーブ類も盛んに植えられた。ブリテン島の気候や風土では育たないものも多かったが、今我々がブリテン島で目にするハトやキジ、そしてホワイトマスタードなどは2000年ほど前にローマ人が持ち込んだものが野生化したものと言っていい。ローマ人がいた約400年の間にブリテン島の風景も食も一変した。いいぞ、いいぞ!ブリテン島に食材が増えてきた。イギリス料理が爆発的に美味しくなる絶好のチャンスが到来した。ところが...

▼4世紀になるとゲルマン民族が大移動を始めローマ領内ガリアになだれ込んだ。衰退・分裂期を迎えていたローマ帝国はもはや迎撃する余力なく、ブリテン島を放棄して帰国。そしてギャランドゥになったブリテン島に大陸からゲルマン人がやって来ちゃう。あちゃちゃー。イギリス料理が美味しくなる兆しがさっぱり見えないまま、次回につづく。チャンネルはそのままね。

私が作ったユーチューブ動画「ウィツタブル 牡蠣の街を征く」を観るが良い

週刊ジャーニー No.1127(2020年3月5日)掲載

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