ロンドン郊外 サイオン・ハウス ジェーン・グレイ、女王即位の地を征く

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■ロンドン中心部から、わずか10マイル。ヒースロー空港の近くに、400年以上の長きに渡り、イングランドの名門貴族、ノーサンバランド公爵家が暮らす邸宅「サイオン・ハウス」がある。今号では、かつてヘンリー8世の5番目の妻キャサリン・ハワードが幽閉され、「9日間の女王」として知られるジェーン・グレイが即位を告げられるなど、英王室と深い縁と歴史を持つこの屋敷を紹介したい。

●征くシリーズ●取材・執筆・写真/本誌編集部

1820年代に完成したグレート・コンサバトリー(大温室)。ガラス張りの建築は、1851年のロンドン万国博覧会の会場「クリスタル・パレス」のモデルとなった。

由緒正しき修道院跡

サイオン・ハウスの起源は、15世紀前半までさかのぼる。
1415年にテムズ河沿いに建造された、スウェーデンの聖人、聖ブリジットを祀るカトリック系修道院「サイオン・アビー」が、その前身だ。ちなみに「サイオン(Syon)」は、聖書に登場する古代イスラエル王ダビデが築いた町「Zion」を由来としている。ブリジットは未亡人となった女性たちの守護聖人として、当時ヨーロッパで深く敬愛されており、サイオン・アビーはイングランド内で唯一のブリジットを信仰する聖地であった。当然ながら修道院長は女性で、修道女は60人、修道士は25人にもおよび、ウェストミンスター・アビーに匹敵する規模の大修道院だった。
もっとも権勢を誇ったのはヘンリー8世の時代で、テムズ河を挟んだ対岸にリッチモンド宮殿が建っていたことから、敬虔なカトリック教徒だった最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンのほか、2番目の妻アン・ブリン、3番目の妻ジェーン・シーモアも参拝に訪れている。
転機を迎えたのは1539年。イングランドをカトリック教会から離脱させて英国国教会を創設したヘンリー8世が、修道院の財産没収・解散を断行。サイオン・アビーも修道院としての機能を失ったものの、破壊されたり所領を家臣に下げ渡されたりすることなく、土地・建物ともにヘンリー8世の所有となった。

5番目の王妃、幽閉される

世継ぎとなる男児誕生を求めて、6回も結婚を繰り返したヘンリー8世だが、実は「離婚」したことは一度もない。2人は婚姻無効、1人は病死、さらに2人は国王以外の男性と関係を持ったことにより処刑されている(最後の1人は王を看取った)。しかし、処刑された2人は最後まで「身に覚えがない」と訴えており、でっちあげだった可能性も否定できない。その斬首刑に処された王妃のひとり、5番目の妻キャサリン・ハワードが姦通罪の疑いで逮捕された後、2ヵ月半ほど幽閉されたのが、ヘンリー8世の私邸となっていたサイオン・アビーだった。

ヘンリー8世(左)と5番目の王妃、キャサリン・ハワード。

無実を訴える手紙を書き送り、疑惑が晴れることを祈りながら静かに過ごすキャサリンだったが、彼女に下された判決は「有罪」。「処刑」との報を受けて取り乱すキャサリンを、役人たちはアビーから連れ出し、テムズ河に泊めてあった船に乗せてロンドン塔へ連行した。その3日後の1542年2月13日、キャサリンは断頭台に散っている。まだ20歳にも満たない若さだった。

国王、犬に食いちぎられる

この話には、後日談として伝えられている怪奇話がある。
キャサリンの死から5年経った1547年1月28日、ホワイトホール宮殿でヘンリー8世が死去。遺体はウィンザー城内のチャペルに埋葬されることになり、2月14日の朝、棺を運ぶ葬列がロンドンを発った。ウィンザーまでは距離があるため、一行は途中で一夜を明かすことにする。その宿泊場所がサイオン・アビーであった。王の棺は祭壇や聖歌隊席が並ぶ内陣に安置されたが、翌朝に衛兵が内陣へ足を踏み入れると、設置された台の上に置かれていたはずの棺が倒れ、ふたも外れており、なんと遺体の一部が損傷していたという。「数匹の野良犬の姿を見た」との証言もあり、野良犬が深夜に棺をひっくり返し、遺体の一部を食いちぎって逃げ去ったのでは…と噂された。前代未聞の恐ろしい出来事に、人々は「キャサリン王妃の呪いだ」と口々に言い合った。

ヘンリー8世の遺体が食いちぎられた事件の様子を描いたイラスト。

ただし別の説として、肥満だった王の棺はかなり巨大であったため、バランスが崩れて台から落下し、その反動でふたが外れて遺体が損傷したとも言われている。どちらにしろ、偉大なる王の身体が傷むような不可思議な事件が本当に起きたのだとしたら、薄ら寒いものを感じる。同地はそれ以降、「いわくつき」の場所となってしまった。

公爵家の野望の地

さて、ヘンリー8世の息子で若干9歳のエドワード6世が即位すると、若き王は自身の後見人として政治の補佐をする伯父、サマセット公爵エドワード・シーモアにサイオン・アビーを譲渡。公爵は呪われたアビーを解体し、その資材を一部再利用して邸宅を建造した。これが現在目にすることができる「サイオン・ハウス」である。邸宅に生まれ変わったサイオン・ハウスで再び事件が起きるのは、さほど時が経っていない6年後。反逆罪で処刑されたサマセット公爵に替わり、ノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーがサイオン・ハウスを手に入れてからのことである。
ヘンリー8世亡き後、イングランドではカトリックとプロテスタント(英国国教会)の対立が激化していた。エドワード6世は病弱で、次の君主がどちらの宗派から誕生するかで、今後の勢力図が一変するのは明らかだった。政治の実権を握っていたノーサンバランド公爵(プロテスタント)は、カトリック教徒の王女メアリーが王位に就くことは避けたかった。カトリック教国に戻したくないエドワード6世と利害が一致した公爵は、一計を案じる。

サイオン・ハウスに展示されている、ジェーン・グレイの貴重な肖像画。

まずはエドワード6世に王位継承者選定の草案を作成させ、「庶子」という理由で異母姉にあたるメアリーとエリザベスを排除。ヘンリー8世の妹を祖母に持つ、15歳のジェーン・グレイ(プロテスタント)を後継者に指名させた。そして次に、ジェーンと自身の息子を結婚させたのである。彼の狙いは、ジェーンを傀儡の女王とした上で、外戚として権力を一手に掌握することだった。

少女、即位を強要される

前置きが長くなったが、サイオン・ハウスを舞台にした歴史上の大イベントは、このノーサンバランド公爵が義娘ジェーンを自邸に呼び出したところから始まる。
強引な婚姻から約2ヵ月半が過ぎた1553年7月9日、ジェーンは義父からの呼び出しを受け、数人の侍女を伴ってテムズ河岸に建つサイオン・ハウスへ船で向かった。岸に降り立ったジェーンは、ドレスの裾をそっと持ち上げて静々と歩を進め、邸宅正面の階段を上っていく。そして辿り着いたロング・ギャラリーには、公爵だけでなく夫やジェーンの両親、数人の主だった貴族たちが、自分を出迎えるように並んでいた。
「何かとてつもない出来事が起きるのでは…」
そんな予感と不安を胸に、室内へと一歩踏み出した途端、彼らは一斉にジェーンに深くお辞儀し、床にひざまづいた。狼狽する彼女にノーサンバランド公爵が伝えたのは、想像もしていない言葉だった。
「国王陛下が崩御なさいました。陛下はご崩御前に、貴女様を次期女王に定める旨をご遺言として遺されました」
あまりに突飛な内容に顔色を失ったジェーンは、声を震わせながら反論する。
「そんなはずはありません。次期女王はメアリー様です。わたくしではありません」
しかし、狡猾で野心家な大人たちによる「説得」という名の脅迫を前に、15歳の少女がどうやって立ち向かうことができただろうか。やがて「女王陛下、万歳!」という歓呼の声々がロング・ギャラリーに響き渡った。

ジェーン・グレイがノーサンバランド公爵により女王即位を宣告された、ロング・ギャラリー。当時は窓が小さく、重厚なオークパネルに囲まれた薄暗い場所だったが、18世紀に「女性たちが読書を楽しむ、庭に面した広間」に改装された。
ロング・ギャラリーの端。本棚を模した中央の扉からは庭に出ることができる。左の扉は隠し螺旋階段。

ジェーンはこの夜、サイオン・ハウスに滞在。翌朝、金糸の刺繍がふんだんに施された豪奢な衣装を身にまとい、船でロンドン塔内の王宮(ホワイトタワー)に入った。「イングランド初の女王」の誕生である。
ところが事態は急転し、9日後の7月19日、正式な王位継承者を主張する王女メアリーの即位が議会に認められ、ジェーンは反逆者として幽閉されてしまう。エドワード6世が作成した王位継承者選定書は「草案」の段階であり、議会で遺書として正式に認められたものではなかったため、ジェーンは「王位簒奪者」になってしまったのだ。翌年、「9日間の女王」はロンドン塔を出ることなく、同地で処刑されている。

1593年当時のサイオン・ハウスの見取り図。チューダー朝時代の正面玄関はテムズ河に面しており、賓客は船で訪れた。そのため、ノーサンバランド公爵らがジェーンを出迎えたロング・ギャラリーは、玄関にあたった。

現存する「運命の場所」

サイオン・ハウスの屋上には、ノーサンバランド公爵家のシンボル「ライオン」の像が掲げられている。

ジェーンに先立ってノーサンバランド公爵も処刑されており、サイオン・ハウスは再び王室所有に戻された。やがてエリザベス1世から、偶然にも同じ爵位名を持つノーサンバランド伯爵家(のちに公爵位を受爵)に譲渡されて以降、400年以上経った今でも、同家はサイオン・ハウスで暮らしている。

チューダー朝時代に「女性用客間」だった部屋は、レッド・ドローイング・ルームとなっている。新古典主義に傾倒した建築家ロバート・アダムのデザインは、華やかな天井が特徴。

建物外観はチューダー朝時代とあまり変わってないが、内観は18世紀に建築家ロバート・アダムによって大きく改装されたので、当時の面影を探すのは難しいかもしれない。ただ、初代公爵が収集したサイオン・ハウスにまつわる人物の絵画コレクションは秀逸で、ジェーン・グレイやその妹キャサリン・グレイ、エリザベス1世の幼少期の肖像画など、初めて目にするような美術品が数多く飾られている。なかでも、ジェーンが女王即位を宣告された運命の場所、ロング・ギャラリーが残されているのは歴史的にも貴重だろう。15歳の少女が、揺れる国家の頂点に突如担ぎ上げられる――しかも前例のない「女王」。ノーサンバランド公爵の権力への執着、ジェーンの不安と覚悟など、思い巡らせながらロング・ギャラリーを歩くのは感慨深いものがある。 サイオン・ハウスは、現在サイオン・パーク内にあり、敷地には19世紀に設計された「グレート・コンサバトリー」と呼ばれる大温室、100種類ほどの薔薇の株やガーデニング商品がそろう「ガーデン・センター」、ミニ水族館などが点在。小難しい歴史に興味がない人でも楽しめるだろう。ロンドン中心部から、公共交通機関を利用して1時間以内で行けるサイオン・ハウス。天気のよい週末に、訪れてみてはいかがだろうか。

第3代ノーサンバランド公爵夫人は、ヴィクトリア女王の少女時代に家庭教師を務めていたため、ヴィクトリアはしばしば母親と一緒にサイオン・ハウスを訪れていた。この寝室はヴィクトリアが宿泊した部屋。
Travel Information 2019年7月30日現在

Syon Park, House & Garden
Brentford, Middlesex TW8 8JF
Tel: 020 8560 0882
www.syonpark.co.uk

アクセス

ディストリクト線のガナーズベリー駅下車。バス237番、267番にてバス停ブレント・リー(Brent Lea)で降りて、徒歩10分。

オープン時間

2019年10月27日まで
※ハウスは水・木・日曜のみ開館 11:00~17:00

入場料

大人:£13、子ども:£6

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「9日間の女王 ジェーン・グレイ」 エピソード1~3

週刊ジャーニー No.1097(2019年8月1日)掲載