logo
 

 
 

テムズ河あれこれ



 産業革命で一大発展を遂げた英国だったが、都市部での環境汚染はきわめて深刻だった。テムズ河には、工場廃水、家庭からの汚水が化学処理されることなくそのまま流れ込み、従来は庶民のタンパク源として好んで釣られていたサーモンも1833年を最後に、まったく見られなくなってしまった。サーモンが『復活』するのはそれから150年後、奇しくもテムズ・バリアの工事が始まった1974年のこと。

ゴミにまざってイヌの死骸までがプカプカと浮かび、それが潮の満ち引きにあわせて移動するという状況になっていたテムズ河は、悪臭もひどかった。特に1858年の夏は暑く、「the Great Stink」(大いなる悪臭)と名付けられたほど、悪臭が大きな社会問題と化した。あまりにひどいため、国会は議場の移転を真剣に討議したという。

悪臭だけでなく、テムズ河の衛生状態の悪さも限界にきていた。1853年から54年にかけてコレラが発生。10,738人の犠牲者が出た。1665年の「the Great Plague」(黒死病=ペスト)流行で、ロンドンの人口の2割にあたる10万人が亡くなったといわれているが、それには及ばないまでも、テムズ河をなんとかしなければ、という機運がますます高まっていった。

1852年、後に「ロンドン下水道の父」と呼ばれるジョゼフ・バザルゲット(Joseph Bazalgette 1819-1891)=上肖像画=が、33歳の若さで「メトロポリタン・コミッション」のチーフ・エンジニアに就任。1856年から「メトロポリタン・ボード・オブ・ワークス」と名称を変えたこの組織は、ロンドンにおける下水道、道路、橋、トンネルなど多岐に渡る分野の整備を目指し、いばらの道を進む。バザルゲットの気の遠くなるような献身的努力が実り、1875年、ついにロンドンの下水道網が完成。これは現在も主要下水道として使用されている。

 

洪水を引き起こす最大の敵、高潮

発達した低気圧(台風を含む)が海岸部を通過する際に、海面が上昇し、大きな波となって押し寄せることを高潮(storm surge)と呼ぶ。気圧の低下による海面の高まりに加え、岸に向かって吹く強風によって海水が吹き寄せられることで生じる。2005年、米ニューオリンズなどに甚大な被害をもたらした、ハリケーン・カトリーナでは、約6メートルという高潮が観測されている。

海面は、気圧と海水の圧力のバランスによって変動する。1気圧(約1013hPa、ヘクトパスカル=ミリバールとほぼ同じ)の時、海抜は0メートルだが、気圧が1hPa下がるごとに海面は約1センチ上昇。例えば、1000hPaの低気圧が近づくと、海水は13センチ程度上昇する計算になる。

日本では台風の季節は秋だが、ヨーロッパで低気圧が発達しやすいのは秋から春にかけて。テムズ河沿いで洪水が起こるのも、この時期が多い。47年の洪水は3月、53年の洪水は1月末だった。しかも、遠浅の海のほうが、低気圧発生時の海面の上昇が顕著であることも分かっており、英国東部(テムズ河口を含む)沿岸に広がる北海の遠浅が、高潮被害をさらに拡大させているという。グレート・ブリテン島東沿岸に吹き付ける強風には要注意なのだ。


テムズ・バリアのすぐ西にはO2アリーナ、そしてカナリーウォーフが見える。

インフォメーション/カフェ(5頁参照)のそばには芝生の「プチ公園」が広がる。天気さえゆるせば、ここでピクニックに興じるのも一案。また、写真の望遠鏡に50ペンスを投入すれば、テムズ・バリアをズームアップして眺めつつ、オーディオ・ガイドを聞くことができる。



 


 

 

2017年 04月 27日

2017年 04月 21日

2017年 04月 26日

2017年 04月 27日