inuhiko_title.jpg

◆◆◆《第466回》◆◆◆
核兵器禁止条約

今年もまた八月がやって来た。いうまでもなくこの月の六日と九日は広島と長崎に原爆が投下された日である。どの国に住んでいても日本人として「原爆の日」は忘れずにいたい。長い世界史の中で唯一被爆の悲惨さを体験した民族として私たちはその記憶を風化させず、世界に伝え続けなければならない。

昨年五月、退任間近のオバマ大統領は広島を訪れ原爆の犠牲者を悼み、「勇気をもって核兵器のない世界を追求しなければならない」と演説した。確かにそれは歴史的な出来事ではあったが、彼は自国の保守派に配慮して日本に非人道的な兵器を使用したことを謝罪しなかった。日本のマスコミは大統領の広島訪問を大きく取り上げて好意的に報道したが、アメリカに住む私の知人は「大統領が広島を訪れたことはアメリカではほとんど話題になっていません」というEメールを送って来た。この知人は広島の出身で父親を原爆で失っている。

オバマ大統領が核兵器を減らすことに意欲的だったのは事実である。彼の思いは就任直後にプラハで行なった格調高い演説に表れていた。その姿勢が評価されノーベル平和賞を贈られたのは周知の通りだ。しかし政治の現実はきびしく、ロシアとの間に生じた新たな対立が大統領の前に立ちはだかった。結局彼は自国の核兵器さえ減らすことが出来なかった。

ところが核軍縮の動きは全く別の形で着実に進んでいた。世界で最も早く非核兵器地帯条約(トラテロルコ条約)を発効させた実績を持つ中南米の国々が主導し、これに呼応したASEAN(東南アジア諸国連合)と被団協(日本原水爆被害者団体協議会)などの民間組織が協力し合った結果、先月七日、国連で核兵器禁止条約が採択された。条約に賛同した百二十二ヵ国は国連加盟国全体(百九十三ヵ国)の三分の二近くを占める。ただし賛同したのは核兵器の非保有国ばかりで、肝心のアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インドなどの核保有国及び核の傘に守られている国々(日本を含む)は条約に反対し、成立の妨害工作まで行なった。日本は当初態度を明らかにしなかったが結局反対に回り、条約の交渉会議にさえ参加しなかった。政府はその理由について「核兵器を実際に持っている国々が参加しない交渉は対立を深めるだけだ」と説明した。

トランプ大統領はオバマ氏とは逆に核戦力の強化を政策の一つにあげている。アメリカの核に守られている日本が核兵器を禁止する条約に賛同することは難しいだろう。しかし先述したように日本は世界で唯一原爆の被害を受けた国である。核兵器の恐ろしさをどの国の人々よりも知っている日本人にはそれを世界に伝える義務がある。

日本の政府は条約に反対したが、それに関係なく多くの日本人が核兵器禁止条約の成立に尽力した。たとえば広島で被爆し、結婚後に移住したカナダで反核兵器運動を続けて来たサーロ節子氏(八十五歳)はこの条約を成立させるため国連で演説し、原爆の恐ろしさを伝えた。先述した被団協の代表理事、箕牧智之氏(七十五歳)もニューヨークの街頭で被爆の悲惨さを訴える一方、核兵器禁止条約を支持する三百万人分の国際署名簿を国連に提出した。会議への不参加を決めて誰も座っていなかった国連の日本代表の席に抗議の気持ちを込めて一羽の折り鶴を置いたのも箕牧氏である。

さらに私が注目したのは今回の核兵器禁止条約にPNND(核軍縮・不拡散議員連盟)が関与していたことだ。非政府組織のPNNDには世界各国の政治家が与野党を超えて加盟している。そのメンバーの資格でイギリスの労働党やスコットランド民族党の議員が条約の討議に参加した。同じくPNNDのメンバーとして日本からは共産党の志位委員長らが参加し国連の会議で意見を述べた。ちなみにインターネットで志位委員長の報告を読むと、SNPに所属するスコットランド議会議員のビル・キッド氏が志位氏に「スコットランドは核兵器禁止条約を支持しているが、イギリスの一部なので署名は出来ない」と残念そうに語ったことが記されている。ビル・キッド氏はPNNDの実力者で副会長を務めている。

核兵器の廃絶は夢物語のようではあるが、多くの国や組織が力を合わせれば道は開けて来る。今回の禁止条約の成立はその大きな一歩といえよう。八月六日に開かれた広島の平和記念式典で安倍首相は「核の保有国と非保有国との橋渡しをする」と決意を述べた。言葉だけに終わらせず、是非それを実行してもらいたい。

くろだいぬひこ
在英二十余年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。

英国で唯一!日本語の週刊誌「ジャーニー」

【最新号】没後200年、ジェーン・オースティンゆかりの温泉保養地「バース」を征く ※ebookは木曜の午後5時更新
オンラインで読む