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2017年2月9日

◆◆◆◆ 《第440回》新横綱誕生 ◆◆◆◆

 

大相撲の一月場所で稀勢の里が初優勝を果たし、横綱に昇進した。「悲願の優勝」という言葉は彼のためにあると思えるほど何度もチャンスを逃した末にやっと掴んだ優勝だった。高校や大学で実績を積んでから角界に入る力士が多い中、中学卒業と同時に鳴戸部屋に入門した稀勢の里は早くから大器と言われて来た。出世も早く、新入幕は十八歳三ヵ月、小結になったのは十九歳十一ヵ月の時である。
ところが彼には一つ弱点があった。大事な取組になると異常に緊張するのである。この性格が災いしてここ一番で勝てず、なかなか優勝出来なかった。不運だったのは入門時から指導してくれた鳴門親方(元横綱隆の里)が突然亡くなったことだ。鳴門親方は現役時代、糖尿病を克服して横綱になり、「おしん横綱」と呼ばれた。「おしん」は忍耐強さで有名なテレビドラマのヒロインの名前である。苦労の末に横綱になった鳴戸親方が生きていたら、稀勢の里は精神面のアドバイスを受け、もっと早く優勝出来ただろう。
現在の師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は最高位が前頭八枚目だった。優勝も三役も経験したことがない親方が大関の稀勢の里を指導するには無理がある。ただ、最近は同じ二所ノ関一門の貴乃花親方(元横綱貴乃花)が折に触れいろいろ教えていたというから、それが効果をあげたのかもしれない。
一月場所は優勝をしたが、最近の三場所を通算すると稀勢の里の成績はいささか物足りない。先場所(昨年十一月場所)は十二勝三敗で準優勝だったが優勝した鶴竜との差は星二つ、また先々場所は十勝五敗で好成績とはいえない。「大関に昇進する時も基準が甘かったのだから、横綱昇進は三月場所の成績を見て決めるべきではないか」という意見があったのも無理からぬことだ。
しかし「十九年ぶりに日本出身の横綱誕生」という話題が欲しい相撲協会はファンの盛り上がりに乗じる形で稀勢の里の横綱昇進を決めた。もしこれが照ノ富士などの外国人力士だったらもっと慎重な対応をしていたはずだ。それを思うとやや不公平な気もする。私は従来「日本出身の力士」の優勝とか横綱昇進を特別な事として扱う風潮には反対である。先日、NHKの大相撲中継にゲスト出演した歌手のさだまさしも同じことを言っていた。  

 

 

ただ、第一人者の白鵬に衰えが見え、他の二人の横綱も怪我が多い現状を考えると、当面大相撲の牽引役を任せられるのは稀勢の里しかいない。稀勢の里は優勝こそ今回が初めてだが、成績が安定していて大きく崩れることがない。その上に力士として華がある。精神的にもっと強くなれば立派な横綱になれるだろう。大事なのは次の場所だ。昇進祝いの美酒にいつまでも酔っていないで、しっかり稽古を重ね、次の場所でも堂々の優勝を遂げて欲しい。それでようやく正真正銘の横綱として認められる。
明治神宮に奉納した稀勢の里の土俵入りには一万八千人が詰めかけた。これは貴乃花の時の二万人に次ぐ記録である。まさに国民的人気といえよう。しかし人心は気まぐれで移ろいやすい。ちょうど一年前に「日本人力士として十年ぶりの優勝」を成し遂げた大関の琴奨菊はこの一月場所で五勝十敗と負け越した。二場所連続の負け越しとなり、来場所は関脇に陥落する。
琴奨菊が優勝した時、マスコミは彼に横綱の期待をかけ大騒ぎをした。一方、稀勢の里は全く蚊帳の外だった。勝負の世界はきびしく、勝てなくなるとすぐに立場が変わる。今、大相撲は世代交代の時期に差しかかり、高安、御嶽海、正代、北藤富士らの若手が急速に力をつけている。稀勢の里も油断は出来ない。
稀勢の里の出身地、茨城県からは明治末期に常陸山という大横綱が出ている。常陸山は現役横綱として自ら希望し、アメリカや欧州を訪問するほど進取の気性に富んだ力士だった。ホワイトハウスではセオドア・ルーズベルト大統領の前で土俵入りを披露し、その後イギリスにも来ている。彼の写真と土俵入りに使った綱は今もニューヨークのメトロポリタン美術館に保存されている。常陸山は引退後、相撲協会の理事長になり、横綱梅ヶ谷ら三十人の力士を従えて再びアメリカを訪れ、各地で興行を行なった。彼は相撲を世界に広めるという大きな夢を持っていた。
早くから将来を嘱望されながらようやく横綱の地位にのぼった稀勢の里も大きな夢を持ち、土俵に見事な花を咲かせてもらいたい。それがこれまで辛抱強く応援してくれたファンへの何よりの恩返しである。

在英二十余年のエッセイスト。商社や銀行勤務を経て、現在は執筆に専念。酒、旅、そして何より犬を愛する。

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