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【台湾編 59皿目】最後の夜の最後に食べたもの

石田ゆうすけ
旅行作家。7年半かけて自転車で世界一周を敢行。9万5千キロ、87ヵ国を走り、2002年末に帰国。現在は全国各地で講演も行う。著書に『行かずに死ねるか!』『地図を破って行ってやれ!』ほか。2014年2月に最新刊『大事なことは自転車が教えてくれた』(小学館)を上梓。ブログも更新中→「石田ゆうすけのエッセイ蔵

一緒に火鍋を囲んだ出版社の社員にキンキーという若い女性がいた。日本に留学していたそうで、流暢な日本語を話す。発音はさすがに完璧とはいかないが、中国語なまりの日本語は人によってはとてもかわいく聞こえるもので、彼女の日本語は、どこかとぼけた味わいがあり、ずっと聞いていたいような面白みと心地よさがあった。彼女のキャラクターがいわゆる天然ボケだからだろう。眠そうな目で、おっとり、そしてシュールなことを話す。
「先日、勢いで家を買いました。でも内装ができていなくて、そしてその分のお金はなくて、私は住めません。だから私には何もない。ローンしかない。あはははは」
彼女が何か言うたびに僕もみんなも大笑いする。君みたいな子を日本では天然ボケというんだよ、と言うと、「それ、日本の友だちから何度も言われました」とのこと。そりゃあそうだろうな。
「台湾には天然ボケに該当する言葉ってあるの?」
「“天然呆”という言葉があります」
そのまんまだ。日本から輸入されたのかな? キンキーさんは知らないという。ほかの国はどうだろう。バカ、うすのろ、表六、昼行燈、剽軽者、いろいろあるけれど、「天然ボケ」のように愛情のある言葉はなかなか珍しいんじゃないだろうか。
店を出ると、午後9時だったが、編集長ともうひとりは会社に戻るという。ブックフェアの真っ只中で仕事が残っているのだそうだ。それなのに時間を作ってくれたなんて。恐縮して頭を下げると、彼女たちもまた慌てて頭を下げ、みんなで笑った。

天然な女性編集者と肩に装具をつけた筆者

キンキーさんと翻訳家のリュウさんが残った。リュウさんも若い女性だ。ビンロウをやった話をした途端、みんなが僕をヤクザと呼ぶようになっても彼女だけは「センセイ」と呼ぶなど、非常に真面目な感じのする女性だった。そんな彼女たちと僕の3人で、夜市に行くことになった。
台湾最後の夜なので、初日に食べて感動した牛乳カキ氷「雪片」を食べたいというと、彼女たちも大好きだと言う。その店に行き、口の中でふわふわ溶けるクリーミーな雪片の味に再び酔いしれた。
そのあと店を冷やかしながら歩いていると、裏通りにいかにも魔窟といった感じの怪しい店があった。ビンロウ屋だ。「やりたい?」と冗談で聞いてみると、キンキーさんは「嘘でしょー」と言いながら、その店に向かってズンズン歩いていくではないか。僕はまたもや腹を抱えて笑いながら彼女のあとを追い、リュウさんは「え? ほんとに? ええ? ああ、なんか罪悪感」と言いながら、結局3人で店に入った。
店内には人相の悪いおばさんがいた。僕らはビンロウをひとつずつ買い、口に入れて噛んだ。顔をしかめたくなるような青臭い香りが口に広がる。リュウさんはすぐにティッシュに吐き出した。僕とキンキーさんはそのまま噛み続けた。すると手足がぽかぽかして、陽気な気分になってくる。キンキーさんがケタケタ笑い出した。
「あーなんか足がふらふらする」
僕らがうるさかったからか、店のおばさんがにらみつけてきた。キンキーさんがそのおばさんに言った。
「ビンロウおかわり!」
そんな彼女を追い立てるようにして僕らは店を出たのだが、キンキーさんの笑いは止まらず、リュウさんは僕のことをとうとう「ヤクザ」と呼ぶようになった。こうして台湾最後の夜はハイテンションで苦笑しながら過ぎていったのだった。
週刊ジャーニーNo.996(2017年8月10日)掲載

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