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叔父のリチャード3世に殺害されたいう説が有力な「ロンドン塔の二人の王子」の消息は英国史上最大の謎のひとつとされているが、この王子たちの行方に関してこのほど、このうちのひとりは実は生き延びて、サセックス州でレンガ職人になったという新説が発表された。
父親であるエドワード4世の逝去後、12歳で即位したエドワード5世と、当時9歳であった弟のヨーク公リチャードは、王位継承を目論む叔父のグロスター公リチャード(リチャード3世)により1483年、ロンドン塔に幽閉されたものの、リチャード3世の即位後は行方不明になってしまったとされる。
それから約200年後の1674年、ロンドン塔の階段下から2人の子供のものと見られる骸骨が発見されたことからも、明確な証拠はないものの、リチャード3世がこの王子たちを塔内で密かに殺害したとの見方が有力視されている。
ところが、レスター大学の歴史家デヴィッド・ボールドウィン氏は自著「The Lost Princes: The Survival
of Richard of York」の中で、リチャード3世が王子たちを殺害したことを裏付ける歴史的証拠はないと強調し、兄王子のエドワード5世は病気などが原因で死亡、また弟王子のリチャードは最終的には、王の監視の下に、母親であるエリザベス・ウッドヴィルと共に過ごすことが許されたとしており、王子は後にレスターシャーのラターワースに移され、ボズワースの戦いの前日に戦場に連れて行かれたという。
同著によると、リチャード3世は王子を自分の世継ぎにしようとすら考えていた可能性があると示唆。しかしながら、ボズワースの戦いで敗れ、リチャード3世が亡くなったことで、王子の運命はさらに変わり、王子は戦いの後、コルチェスターのセント・ジョン寺院に連れて行かれ、そこで1539年までレンガ職人として働いていたとされている。
ボールドウィン氏は著書で、リチャード王子はレンガ職の雇用主に、自分が王の息子であると告げ、教育を受けた証拠としてラテン語を読んで見せたとされ、1550年12月にケント州のイーストウェルにて死去したとし、ロンドン塔以来消息不明となっているのは、王位継承闘争が激化する中、王をはじめとする周囲の者が王子の身の安全を考慮し、あえて王子の消息を隠した可能性が高いと指摘しているという。
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