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富む者から奪い、貧しき者に与える義賊として長く語り継がれてきた、中世イングランドの伝説的英雄ロビン・フッドが活躍した地は、実はウェールズであり、シャーウッドの森はおろか、ノッティンガムとはまったく無関係などころか、生まれた時期も現在考えられているより100年前にさかのぼるという新たな説が提唱されたことが伝えられた。
アメリカの歴史家スティーブン・ローヘッド氏(56)が自著「Hood」の中で明らかにしたところによると、ロビン・フッドとその仲間たちの伝説は11世紀、ウェールズにあるマーシュの森を拠点に盗みを繰り返していた義賊がモデルであるとし、その名も一般に知られているように「ロクスリーのロビン」ではなく「ブラン・アプ・ブリカン(Bran
ap Brychan)」であると主張。
ブランは、当時、ウェールズの一角にあったエルファエル王国の王子として何不自由なく育ったが、父王が征服者ノルマン人に殺された後、王国の正当な後継者になった人物で、本人も征服者に殺されかけたものの、やがて裕福な貴族たちから盗んだ財を、自分の王国の貧しい民に与えるようになったとされる。
ローヘッド氏はロビン・フッドをウェールズ人とする理由として、いくつかの証拠を提示。当時、ウェールズの男性はいつでも征服者に対して戦う準備ができていたこと、また伝説で叙述されている、手つかずの自然の風景がまさにウェールズの森そのものであることを挙げ、イングランドの森は当時、すでに隅々まで商業用に開拓されており、シャーウッドの森でロビン・フッドが仲間たちと征服者から逃れて隠れ住むのは不可能だったと示唆。また、ブランは悪役とされるノッティンガムの代官に会ったこともなく、恋人マリアンは想像上の人物としている。
ただ、ロビン・フッド伝説が地元観光にとって大きな呼び物となっているノッティンガム市では、ロビン・フッドのウェールズ人説は著者が有名になろうとしてでっちあげたフィクションに過ぎないと一笑に付しているとされる。
ちなみに、イングランドのロビン・フッドは1230年の記録文書の中で、裁判に出廷しなかった逃亡者として初めて言及されており、この人物は当時、欲の深い教会関係者から所領を剥奪されたロクスリー伯爵であるとする説が有力。
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