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日本の国歌である「君が代」の作曲に携わったとされる英国軍人ジョン・ウィリアム・フェントン氏(John
William Fenton)=写真=の消息について、日本の専門家から英国の「デイリー・テレグラフ」紙に調査への情報提供など、協力を求める依頼があったことが伝えられた(写真は「デイリー・テレグラフ」紙より)。
『初代』の「君が代」を作曲したとされるフェントン氏の消息を10年以上にも渡って追跡調査しているという、日本吹奏楽指導者協会の秋山紀夫(あきやまとしお)名誉会長は「デイリー・テレグラフ」紙に、フェントン氏の子孫や埋葬地などに関する情報提供を一般読者に呼びかけてほしいと依頼したという。
フェントン氏は1868年、英国陸軍軍楽隊隊長として来日し、横浜に滞在。同陸軍が1871年に日本を去った後も、皇室付属でもあった日本初の海軍吹奏楽団の指導者として6年間日本にとどまったとされる。フェントン氏が平均年齢19歳という日本人兵士の一団に、日本初の楽団としての訓練を行ったという横浜の妙香寺には、その業績を讃える記念碑が残されている。
フェントン氏はさらに自ら作曲した国歌「君が代」の最初のバージョンを、1870年に天皇の前で披露。このバージョンは後に別版と代えられてしまったが、オリジナルの曲は今でも、妙香寺の年に一度のコンサートで演奏されるという。
1828年に、英国陸軍の兵士であった父親の下にアイルランドのコーク州で生まれたというフェントン氏は、最初の妻を日本で亡くした後、横浜でアメリカ人女性と再婚。日本を去った後は、前妻との娘と妻と共に米イリノイ州に移住したものの、日本政府に仕事の斡旋を依頼し続けたが聞き入れられず、1880年にスコットランドに移住。1883年にスコットランドにおける陸軍軍楽指導者としての職を辞任したことまでは分かっているが、その後の消息は不明という。
フェントン氏についての情報提供を求める秋山氏は、フェントン氏を日本の吹奏楽団の「祖」とし、埋葬場所や子孫の有無を確認してフェントン氏への敬意を示したいとコメント。子孫がいればぜひ日本に招待したいと考えているという。
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