
跳ね橋を渡り城門をくぐると、木の梁が特徴的な、温かみのあるテューダー様式の館が現われる。
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ブリン家とヒーバー城
遠くになだらかな丘がうねり、芝に覆われた斜面のあちらこちらに羊が座り込んでいる。英国の典型的な田園風景だ。緑に覆われた小さな村々を抜け、車がギリギリすれ違えるほどの細い田舎道を軽快に走っているうちに、いつの間にか本日の目的地、ヒーバー城Hever
Castleへの曲がり角を通りこしてしまった。それほどまでに控えめな標識でわかりにくい道程になっているのは、ここがかつて、この国に君臨した偉大なる王が人目を忍んで訪れた場所だからか…。
『城』とはいえ、こぢんまりとした佇まいを見せるヒーバー城は、元をたどると城ではなく、13世紀に建てられた要塞の一部であった。外からは城のように見えるが内側はがらんどうで、当時この近くにあった城の、門の部分だったと思われる。
15世紀になってから、ヒーバー城はある男に買い取られた。男はここをマナーハウスとすべく改築し、石壁の内側にすっぽり入るテューダー様式の邸宅を建てた。男の名はジェフリー・ブリンGeoffrey
Bullen。のちにヘンリー八世の二番目の妻となり、エリザベス一世の母となったアン・ブリンAnne Boleynの曾祖父にあたる人物だ。ジェフリー・ブリンがここに移り住んでから約百年の間、ヒーバー城はブリン家代々の居城となり、同家の繁栄と衰退を見届けることとなる。
悲しい過去
現在は一般公開され、春夏には行列ができるほどの人気を誇る行楽地だが、その親しみやすさとは裏腹に、ヒーバー城にはとても切なく悲しく、残酷でエロティックな過去がある。16世紀、時の国王ヘンリー八世は、お忍びでこの城をたびたび訪れていた。訪問の目的はこの城に住んだ二人の姉妹――メアリー・ブリンMary
Boleynとアン・ブリン。ヘンリー8世は、はじめ姉のメアリーを愛妾にしながら、のちに妹のアンのとりこになる。このアン・ブリンこそが、ドラマチックな英国史の中でも大事件のひとつに数えられる、英国国教会の設立のきっかけとなった女性だ。
同じ屋根の下に暮らしながら、ひとりの偉大な国王の寵愛を奪い合った姉妹。王妃の座を得たものの、斬首刑に処されるという最期を迎えたアンと、愛妾という立場を退いたあとは、実の妹の侍女として従わなければならなかったメアリー。それぞれの思いが、今もこの城の中に渦巻いていても不思議ではない。事実、ヒーバー城には幽霊が出る、怪奇現象が起こった…などの噂が耐えない。今回の訪問時も、「見えてしまう」という取材班のひとりが、城内のあちこちで異様に重い空気を感じるなど、何か特別な雰囲気が立ち込めていた。
今からおよそ五百年前、この館の中でどのような愛憎劇が繰り広げられ、幼い頃無邪気に笑い合った姉妹がライバルとなり、ブリン家がどのように没落し、彼らの怨念だけがこの城に宿るに至ったのであろうか――。
ブリン家の野望
トーマス・ブリン
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ブリン家は、アン・ブリンの曾祖父の代まで農民の家系であった。それがたったの三代で王妃を輩出するまでの名家になりえたのは、アン・ブリンの父トーマス・ブリンThomas
Bullenの功績によるところが大きい。トーマスの祖父でヒーバー城に最初に居を構えたジェフリー・ブリンも、地方の一農家出身の身からロンドン市長の座を手に入れ、ナイトの称号を授与されるまでに成り上がったことを考えると、トーマスの巧みな処世術は前代から伝わるものだったかもしれない。
トーマスは廷臣として宮廷に出入りしていた際、女官のひとり、エリザベス・ハワードElizabeth Howardと結婚する。彼女はエドワード一世直系の子孫で、先祖が一般庶民であるトーマスとは身分が違った。この結婚が、トーマスの打算によるものだったかどうかは定かでないが、これにより彼が一目置かれる存在となり、ブリン家を優位に立たせたことは間違いない。
ブリン姉妹の評判
ブリン家のふたりの姉妹は、父トーマスの方針に従い、幼い頃から王室メンバーの近くにいた。ヘンリー8世の実妹がフランス国王に嫁いだ際には、メアリーとアンも侍女としてフランスに送られ、ブリン家の存在をアピールしている。
フランス宮廷でのブリン姉妹は、それぞれ違った意味で目立つ存在であったようだ。妹のアンは色黒で黒髪、華奢と、当時としてはあまり冴えない容姿であったが頭の切れるタイプで、カリスマ性があり人気が高かった。一方のメアリーは、ブロンドをなびかせ、色白、豊満という男好きするタイプ。教養はあまりなかったといわれている。
メアリーはフランス滞在中にフランス国王の妾となった。のちに同国王はメアリーを「最高の娼婦。淫乱この上ない」と称している。国王以外とも浮名を流したメアリーは、アンより先に英国に送り返される。帰国後は王妃の侍女となったが、まもなくその王妃の夫であるヘンリー8世の愛妾になるのであった。
ヘンリー八世と ブリン姉妹
メアリーとヘンリー八世の関係は、ヘンリー88世がその前の愛人に飽きた時に始まり、ふたたび彼が別の女性に心を移すまでの2年間続いた。ヘンリー八世が心移りした相手は、こともあろうにメアリーの実の妹、アン・ブリンであった。
九年間のフランス滞在ののち英国に戻ったアンは、当時ヨーロッパでもっとも華麗で気品あると謳われたフランスの宮廷で身につけた最先端のファッションと教養を武器に、英国宮廷でも瞬く間に羨望の的となる。前述のように容姿にはあまり恵まれていなかったものの、アンにはどこかミステリアスな魅力があり駆け引き上手で、宮廷中の男性たちを翻弄したという。そんなアンの噂は、ヘンリー八世の耳にも入った。
アン・ブリンの 駆け引き
その頃のヘンリー8世は焦っていた。妻キャサリン・オブ・アラゴンは男児をもうけないまま、ついに40歳を迎えていた。愛人であるメアリー・ブリンにも飽きてきたところだった。そこへ現れたブリン家のもうひとりの娘――フランス仕込みのモダンなセンスと教養と艶やかさを兼ね備えたアン・ブリン――に、ヘンリー八世が心を奪われるまでに時間はそうかからなかった。
ヘンリー八世は当然、自分の愛妾になるようアンを誘う。しかし姉のメアリーと違って抜け目のないアンは、国王の気持ちが冷めないよう注意を払いつつ、巧妙にこの申し出を断ってしまう。アンは、愛妾であった姉メアリーの境遇を鑑みて、愛妾になっても得るものはなく、せいぜい飽きた国王に無理やり結婚相手をあてがわれるだけだと知っていたのだ(実際、メアリーはヘンリー8世に捨てられた年、同国王の取り決めた縁談により結婚させられている)。アンが狙っていたのはただひとつ、王妃の座であった。
ブリン家持ち前の処世術を受け継いだのは、妹アンのほうだったのだろう。好意をちらつかせつつ簡単には受け入れないアンに、ヘンリー8世はますます惚れ込んだ。アンの思惑どおり、ヘンリー8世は1527年、ついに彼女にプロポーズする。そして前妻との離婚を成立させてアンとの結婚を成就させるために、英国をローマ・カトリック教会から離脱させて英国国教会を創設するという、とてつもない行動に出るに至ったのである。
姉妹愛の形
ところで、昨日まで自分を愛してくれていたはずのヘンリー八世が、今度は妹のアンに熱を上げ、同じ城内で密会を繰り返す最中、姉のメアリーは何を思っただろう。激しい嫉妬心にさいなまれただろうか。それとも、あくまで一族の繁栄のために、妹の『快挙』を喜び、結婚の実現に向け、妹を支えただろうか。
一説によると、ヘンリー8世との結婚という目標に向かい闘志を燃やす妹アンに、姉のメアリーは愛妾だったみずからの経験を生かし、どうやったらヘンリー8世が喜ぶか、様々なアドバイスを与えた可能性も考えられるという。当時、一族の繁栄のため、姉妹がこのような形で力を合わせたとしても、決して不自然ではなかったのかもしれない。
アンの最期とブリン家の斜陽
ここまでして漕ぎつけた結婚ではあったが長くは続かなかった。ヘンリー八世の切なる願いは王位継承者となる男児の誕生を見ることであった。しかし、最初に生まれた女児のあとは流産や死産が続き、ヘンリー8世の失望は絶望に変わり、焦りはアンへの怒りへと変わっていった。そして1536年、結婚から3年後の春、アン・ブリンはロンドン塔にて斬首刑に処された。罪状は反逆罪だった。アンがこの時胸に抱いていたともいわれる聖書=写真左=は、現在ここヒーバー城に展示されている。ページ下部にある、アン本人による肉筆が、スパッと斜めに裁断されているのを見ると一瞬ドキッとするが、これは後世に修繕に失敗した跡だという。
一方のメアリーは、アンが王妃となったことでブリン家が飛ぶ鳥を射る勢いを見せていた頃、まるで忘れ去られたかのような屈辱的な扱いを受け、下級貴族と駆け落ちしたあとは宮廷からも追放され、片田舎でひっそりと暮らした。しかしこれが幸いし、アンの処刑とそれに続くブリン家の没落に巻き込まれず、1543年、44歳の夏に静かにこの世を去ったという。
隆盛を極めたブリン家を築き上げた実力派、ブリン姉妹の父トーマスは、アンの処刑後は周囲から白い目で見られながら、失意のうちにここヒーバー城で息を引き取った。アンの処刑から2年後の1538年のことだ。そして彼の死をもって、ヒーバー城とブリン家の関わりは幕を閉じた。
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ブリン家の時代からある「ロング・ギャラリー」は、館の幅をいっぱいに使った、広めの廊下とも呼べそうな長い部屋=写真右。テューダー様式の豪邸の特徴でもあり、人々が集ったり、時にはスポーツを楽しんだりする多目的スペースであった。ここヒーバー城のロング・ギャラリーでは、ヘンリー8世が人々と談笑したという。現在はヘンリー8世やアン・ブリンのろう人形がずらりと並び、若干気味が悪い。ヒーバー城の案内係の何人かが、この部屋を横切り壁の中に消えるアン・ブリンを見かけたことがあるという。また、ろう人形の前にあるロープの一部だけが、誰もいないのに勢いよく振れていることもあるとか…。
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なぜ
ヘンリー8世は
男の後継者にこだわったのか?
ヘンリー8世が生涯男児の王位継続者にこだわっていたのには理由がある。まず、後継者は男であるべきだという思想が一般的な時代であった。また、それまでの英国史から、女王の時代には乱世となるという迷信のようなものもあった。ヘンリー8世のテューダー朝は、ヘンリー8世の父であるヘンリー7世がヨーク朝との激しい戦いの末に勝利して打ち立てた、まだ歴史の浅い出来立てほやほやの王朝であった。一刻も早くテューダー朝を安定させ、ふたたび戦争が起こらぬよう、しっかりした基盤を固めることが最優先事項であったのだ。ヘンリー8世が男児の誕生を待望して生涯6人もの妻をもつに至ったのには、私利私欲以上の、国と王朝の安泰という重大な責務によるところも大きかったのだ。
1533年にヘンリー8世とアン・ブリンが結婚した時、ヘンリー8世は42歳、アン・ブリンは32歳。アンが産んだ子供のうち、無事成長したのは最初に生まれた女児だけであった。実はこの女児こそが、今も絶大な人気を誇る女王、のちのエリザベス1世=肖像画=だ。今から振り返れば、歴史に名を残す女王の誕生の瞬間であったわけだが、生まれた子が女児だと聞いた時のヘンリー8世の落胆ぶりは計り知れない。しかし、結果的には未来の偉大な女王をテューダー朝に残したにもかかわらず、娘の戴冠を見る前に斬首刑に処されたアン・ブリンの無念はもっと計り知れない。
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この春、ブリン姉妹が映画に!
『THE OTHER BOLEYN GIRL』

Released by Sony
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ヘンリー8世を巡り複雑な立場に置かれ、波瀾万丈の人生を送ったメアリー・ブリンとアン・ブリン姉妹を題材に執筆されたベストセラー小説『The
Other Boleyn Girl』が映画化された。監督は英国人のジャスティン・チャドウィック。アン・ブリン役を『レオン』『スター・ウォーズ』のナタリー・ポートマンが、メアリー・ブリン役を『真珠の耳飾りの少女』『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンが好演している。実話をベースにしているがフィクションなので事実と異なる部分もあるが、500年前にここヒーバー城に住んだ姉妹とヘンリー8世のドラマチックな恋愛模様を追体験できる。2月29日公開予定。詳細はwww.theotherboleyngirl.com(英語)にて。
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アン・ブリン
処刑の真相

© Hever Castle
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アンの罪状は実の兄ジョージ・ブリンGeorge Boleynを含む4人との姦通罪。王妃であるアンの不貞は国王への裏切り行為とみなされ、反逆罪とされた。
アンが実際に国王以外の男性と関係をもったかどうかは歴史学者の間でも意見が分かれるところだ。男児を産むという使命のため、妊娠の機会をできるだけ多く得ようと複数の男性と関係をもった可能性もゼロではないとする説もあるが、どちらかというとアンへの罪状はでっちあげだったとする説が有力だ。男児にいまだ恵まれないままヘンリー8世自身がすでに45歳を迎えていたことや、彼がすでにアンの侍女であるジェーン・シーモアJane
Seymourに心を奪われていたことなどが、アン・ブリン逮捕の背景にあったといわれる。事実、アン・ブリンの処刑当日、ヘンリー8世はジェーン・シーモアと婚約し、5日後には正式に結婚している。
また、それまでの王妃と違い、アン・ブリンは学識豊かであっただけに、政治や宗教に関しても強い意見をもち、次第に発言権を得るようになったことから、派閥争いに巻き込まれたともみられている。アンの政治への介入をおもしろく思わない高官たちが、「アン・ブリンが国王の暗殺を謀っている」という噂を流し、彼女の左手の指が6本あるのも(単なる二枚爪だったともいわれる)、背が非常に高いのも、いぼがあるのも、アンが最後に身ごもった男の胎児(死産)が奇形であったことも、すべては彼女が魔女だからであるとまことしやかに触れ込んだ。そして魔女が得意とする毒殺を、アンが目論んでいると訴えたという。アンが国王以外の複数の男性と関係をもったという証言自体、証言者を拷問することにより得られたとされていることからも、アンは何者かによって陥れられたとする説のほうが広く受け入れられているという。
いずれにせよ、500年以上前にロンドン塔で執行された、王妃の処刑というショッキングな出来事の真相は闇の中だ。 |
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ロンドン塔のアン・ブリン
過去に数多くの高貴な身分の人々が処刑されたロンドン塔は、英国でもっとも呪われた場所として知られる。多くの幽霊目撃談の中でも“人気”なのがアン・ブリンの亡霊。幽霊となったアン・ブリンが、自分の首を小脇に抱えてロンドン塔の中をさまようという。アン・ブリンの亡骸はロンドン塔内にあるセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂Chapel
of St Peter-ad-Vinculaに埋葬されている。
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