初めてのダーツ観戦

 二〇〇七年十一月十七日からウルヴァーハンプトン・シビック・ホールで行われたパーティーベッツ・ドットコム・グランドスラムにはPDC (Professional Darts Corporation)およびBDO (British Darts Organisation)、WDF (World Darts Federation)の、各トーナメントからダーツチャンピオン三十二人が八ヵ国(オーストラリア、オランダ、アメリカ、カナダなど)より参加。同大会の勝敗予想にはなんと賞金総額三十万ポンド(約六千六百万円)が賭けられ、優勝者には八万ポンド(約千七百六十万円)が贈られることになっていた。ダーツの放映はこの八年で初めてというITV1とITV4が同大会のライブ中継およびハイライト番組を組んだ。

 取材班は二十一日に行われた二回戦の開始三時間ほど前に現地に到着。二週間かけて行われるトーナメント会場には毎日約千二百人が訪れるという観客の席が設置されており(フロア席は二十ポンド、バルコニー席は十五ポンド)、ディナーコンサートのような整然とした配置にびっくり。ステージの真中に掛けられたダーツボードは、大きな会場から見るととても小さく感じられ、このボードを全員が固唾を飲んで見守るのかと思うと、異様な感じさえした。ダーツボードのコンディションチェックや、ダーツボードをズームアップして映し出すスクリーン、テレビ中継用のカメラ、照明の試運転など、最後の点検が行われ、着々と放送開始に向けて準備が進められる。

 この日のゲームでは四組八人が対戦。一ゲーム十レグ(セミファイナルは二十レグ、ファイナルは三十五レグ)という構成で、一組約一時間かかるという。選手の控え室に案内されると、練習室があり、最初に対戦する二人が肩を並べて練習していた。選手たちはゲーム開始の二―三時間前には練習室に入り、ウォーミングアップをするというが、至ってリラックスしたムードで、いろいろな人が練習室を出入りしては会話を楽しんだりふざけあったりさえしている。この家族的な雰囲気はダーツの特徴でもあり、一年を通してトーナメントやリーグ戦に参加している選手たちは年に三十―四十週間顔を付き合せ、同じホテルに滞在することも少なくなく、結果的に友達や家族に匹敵するほど互いをよく知ることになるのだという。とても和やかでアットホームな雰囲気に好印象を抱いた。

ドラマチックに入場する選手たち。ケビン・マックダインの登場シーン。

午後六時、いよいよゲーム開始。司会者の呼びかけとともに、選手はボクサーのように自分専用のテーマ曲に合わせて会場の一番後ろから登場。スモークがたかれ、ステージまでの道のりをファンたちの声援を受けながら進む。ちなみに選手たちにはパーソナリティ、容姿、ゲームのスタイルなどによってニックネームがつけられており(自分でつけている場合がほとんどだそうだが…)、ファンの中には本名を知らずニックネームだけで覚えている人も多いのだとか。一組目はマタドールThe Matador(闘牛士)こと、イェル・クラーセンJelle KlaasenとチョッパChoppa(チョッパー=ぶったぎり)こと、パット・オーレルPat Orrealの対戦。まずステージに上がると三スロー(九ダーツ)を交互に投げて腕ならし。これは練習室とステージ上では照明の明るさが異なることから、その差に慣れるためだという。そして「Game On!!」という審判の合図で本戦開始。その後は「トン、トン、トン」とリズムよく、三本投げては交替し、その都度得点数が読み上げられるという一連の繰り返し。派手に盛り上げた入場の儀式に反して、至って地味で淡々とした流れだ。一スローに与えられた時間はルール上二分ではあるが、二分もかける人は皆無だそうで、ほんの十秒程度で終わってしまう。審判はもちろん、選手も観客も瞬時に得点を計算しているのだろうが、ダーツ初体験の取材班はとても間に合わず、電光掲示板の得点で試合状況を把握するほかなかった。ダブルの場合は得点を二倍、トリプルの場合は三倍と考えながら、三本の得点を足すのさえやっとなのに、それに持ち点数を常に覚えておいて、そこから引いていくという作業が加わる。とても無理だ。英国人は足し算、引き算は苦手だと思っていたのに…。

観客から握手を求められるパット・オーレル。

 会場を出たところにはバーカウンターがあり、観客はドリンクを持ち込んで観戦できるというので、取材班も計算は諦めて飲むことに。固唾を飲んで試合を見守るという雰囲気はなく、むしろ終始ガヤガヤとして、パブで飲みながらサッカーをテレビ観戦しているのとほぼ変わらない状況だ(もちろん、選手が投げる瞬間に大声で叫んだりしてはいけない)。一レグが終わった時や「180」が出た瞬間は観客が立ち上がり、大声援がわき起こる。

 この日は優勝候補の一人として注目されていたダブルオーナイン009こと、ジェームズ・ウェイドJames Wadeがスーパー・マックSupaMacこと、ケビン・マックダインKevin McDineに敗退するという意外な結果が出て、その後の勝敗が全く予測不能となった。

 集中力や精神力に頼るところの大きいゲームであるだけに、一度そのバランスが崩れると立て直すのも難しく、本来の実力が出せないまま終わってしまうこともあるのかもしれない。ダーツはゴルフと同様、相手と絡まないスポーツだから、相手を邪魔して得点できないようにしたり、相手の弱点を攻撃したりすることができない。自分の得点をコンスタントに上げていくしかないのだ。

 的をめがけてダーツを投げる、それだけの動作には、とりたてて体が大きくて筋骨隆々である必要はない。しかしその分、焦りや不安などをコントロールできる強い精神力と集中力、持続力などが試される。そして瞬時に自分の狙うべき得点をはじき出せる計算能力も不可欠だ。

 プレーしている光景はきわめてシンプルで地味だが、いろいろな考えや計算が錯綜した上で一投が放たれると思うと途端にスリリングで面白みが増す。ダーツはそんな深〜いスポーツなのだということを実感した一日だった。

BDOとPDCは 犬猿の仲?

ダーツの発祥地、英国にはダーツの二大組織がある。ひとつは1973年に設立された英国ダーツ協会BDO (British Darts Organisation)で、それまでパブの娯楽としてしか知られていなかったダーツをテレビ放映させ、ダーツブームを巻き起こした。ナショナルリーグや全英オープンなどを運営し、スポンサーを獲得してプロのダーツの選手を誕生させたのもBDOだ。このBDOが77年にアメリカのダーツ協会と合併し、英国で発足させたのが世界ダーツ連盟WDF (World Darts Federation)。
当時のダーツは近世のときから変わらず、ビールを飲み、タバコを吸いながらプレーするのが普通だった。それが80年代後半になると禁酒・禁煙ブームによってバッシングを受けるようになる。ダーツのテレビ放映は減少し、スポンサーが付きにくくなり、よって賞金も減り、選手が厳しい状況に置かれ、BDO も対応を迫られた。この時のBDOの運営方法に不満を抱いていた選手たち16名がBDOに見切りをつけ、新しい組織として93年に発足させたのが現在のPDC (Professional Darts Corporation)だ(発足当時の名前はWDC=World Darts Council)。しかし、この16名の選手たちは(うち2人は後にBDOに復帰したので正確には14人)、その後BDOの主催するあらゆるトーナメントで出場禁止になるという仕打ちを受ける。この16名の中に含まれていたのがフィル・テイラー、アラン・ウォリナー=リトルなどのトッププレーヤーたちであったため、これ以降のダーツの大会は閑古鳥状態、ワールド・カップやヨーロッパ・カップでも英国チームはすぐに敗退という悲惨な結果を招くことになる。
今でもBDOの主催する大会にPDC の選手が出場することはなく、一方PDCはワールド・チャンピオンシップや全英オープン他、メジャーなトーナメントを行うまでに成長し、賞金が高いことでも知られ、BDOからPDCに移籍してくる選手も少なくないらしい。イェル・クラーセンも昨年1月に移籍し、話題となった。



ダーツの発祥地、英国にはダーツの二大組織がある。ひとつは1973年に設立された英国ダーツ協会BDO (British Darts Organisation)で、それまでパブの娯楽としてしか知られていなかったダーツをテレビ放映させ、ダーツブームを巻き起こした。ナショナルリーグや全英オープンなどを運営し、スポンサーを獲得してプロのダーツの選手を誕生させたのもBDOだ。このBDOが77年にアメリカのダーツ協会と合併し、英国で発足させたのが世界ダーツ連盟WDF (World Darts Federation)。
当時のダーツは近世のときから変わらず、ビールを飲み、タバコを吸いながらプレーするのが普通だった。それが80年代後半になると禁酒・禁煙ブームによってバッシングを受けるようになる。ダーツのテレビ放映は減少し、スポンサーが付きにくくなり、よって賞金も減り、選手が厳しい状況に置かれ、BDO も対応を迫られた。この時のBDOの運営方法に不満を抱いていた選手たち16名がBDOに見切りをつけ、新しい組織として93年に発足させたのが現在のPDC (Professional Darts Corporation)だ(発足当時の名前はWDC=World Darts Council)。しかし、この16名の選手たちは(うち2人は後にBDOに復帰したので正確には14人)、その後BDOの主催するあらゆるトーナメントで出場禁止になるという仕打ちを受ける。この16名の中に含まれていたのがフィル・テイラー、アラン・ウォリナー=リトルなどのトッププレーヤーたちであったため、これ以降のダーツの大会は閑古鳥状態、ワールド・カップやヨーロッパ・カップでも英国チームはすぐに敗退という悲惨な結果を招くことになる。
今でもBDOの主催する大会にPDC の選手が出場することはなく、一方PDCはワールド・チャンピオンシップや全英オープン他、メジャーなトーナメントを行うまでに成長し、賞金が高いことでも知られ、BDOからPDCに移籍してくる選手も少なくないらしい。イェル・クラーセンも昨年1月に移籍し、話題となった。



アラン・ウォリナー=リトル
Alan Warriner-Littleさん

1962年ダーツの盛んなランカスターに生まれ、20歳でプロになることを決意。89年にワールド・チャンピオンシップにデビュー。2001年のワールド・グランプリで優勝したほか、数々の世界大会で決勝戦に出場した。ニックネームは「アイスマン」で、決めても決められても一喜一憂することなく、クールな表情を保っていることから名づけられたという。この日のグランドスラム大会ではテレビの解説者として登場。今回の取材にあたり、ダーツのルールやプレーヤーとしての資質など、いろいろな話を聞かせていただいた。
「ダーツはどれだけ平常心を保てるかが勝負。プレーヤーによっては必ず同じシャツを着て試合に臨むとか、ラッキーパンツをはくとか、縁起をかつぐ人もいます。僕は試合前30分になるとイヤホンをしてロックミュージックを大音量で聴いて精神統一していました。もちろん計算には強くなくてはダメですが、ダーツをしていれば嫌でも計算に強くなります。性別、年齢、体格などに左右されないゲームと言われるけれど、狙った場所を確実に射止めるためには全身を総合的にコントロールすることが必要で、テクニックはもちろん、集中力や精神力、そしてそれを維持する力も同時に求められます。見た目は静かで動きのないスポーツですが、ゲームが終わると本当にどっと疲れるんですよ」



▲試合開始の2時間ほど前にはダーツボードの最終チェックが行われていた。ボードは毎日取り替えるという。▼電光掲示板の得点票のほかに手書きの得点票もある。




練習室にはダーツ・ボードが5つ並んでおり、この日の1試合目に対戦するイェル・クラーセンとパット・オーレルが練習していた。




ケビン・マックダイン選手=左=とパット・オーレル選手。練習室でも終始、和やかムード。



カメラを向けたら、きりっとポーズを決めてくれたイェル・クラーセン選手。女性ファンが多いのがうなづけるイケメン選手



▼この日の解説をつとめたスティーブ・ビートン元選手

▲前日に試合を終え、リラックスした面持ちで会場を訪れたコリン・ロイド選手




「180」が出た瞬間。ジャッジが「ワ〜ン ハ〜ンドレッド エイティ〜!!!」とアナウンスし、皆、180と書かれたカードを持ち上げ、歓声をあげる。









180のカードの後ろは空白になっており、各々思い思いのメッセージを書き入れ、カメラに向かってアピール。




観客たちはビールを飲み歓談しながら観戦する。




Tシャツ、文房具、ぬいぐるみなど、プレーヤーのグッズが売られたショップ。180のカード(無料)もここで配られていた。