筆者 ● デンゾー・タカノ
豪州、米国などでの勤務を経て、今は「現地の会社」で 管理職として働く壮年サラリーマン。もちろん日本人。 趣味は散歩、DIY、ゴルフ(修行中)。
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| 傍目三目:正しくは「傍目八目 (おかめはちもく)」。 他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局している時よりずっとよく手が読めるということ。転じて、局外にあって見ていると、物事の是非、利・非利が明らかにわかること(以上「広辞苑」より)をいう。ここでは、八つも先の目とはいわず、三つ先くらい、の意味で「三目」とした。
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過去、邪馬台国の時代あたりから、日本は農耕社会だ。工業化社会になったのは、つい半世紀ほど前からにすぎない。農業においては、勤勉に努力をすればそれだけの効果はあった。だから我々日本人は努力主義(ガンバリズム?)を身につけたわけだが、2千年もそれをやったので遺伝子にまで組み込まれているらしい。自分が努力して成功したものだから、失敗した人や落伍者を、努力が足りないと非難する。つまり努力主義者はどうしても心が狭くなる。
一方、欧米社会の精神的バックボーンであるキリスト教は努力主義をあまり評価しない。イザヤ・ベンダサンではないが、聖書のマタイ伝には、「あすのことを思い煩うな。あすは、あす自身がおもい煩うだろう。一日の苦労は、その日一日で足れり」と書いてある。
つまり、いくら、しゃかりきになって鹿を追いかけてもタイミングが悪いと捕れないし、いくら羊の世話をしても、子羊がすぐ増えるわけではない。それよりも適当に遊びながらチャンスがくるのを待つのが得策だ、と言っているようだ。この流儀は、欧米人の血肉となっている。
最近、トヨタの車両生産台数が世界一になったが、またまた貿易摩擦の再来が心配だ。品質が良く、値段も適度であるから、どうしたって売れるのだ。ところが、集中豪雨型の国民性だから、一旦、売れるとなると、日本人はそこに集中して、売って売って売りまくり、相手国の業界にダメージを与えてしまう。
相手国民には、当然、これがオモシロクない。いわく、「日本製の車の方がよく売れるから、我々の車は売れないし、なかには倒産する会社もでてくる。だから日本人は自動車を輸出しているのではなく、失業を輸出しているのと同じだ」とくる。
これに対する一般の日本人の反応も問題なのだ。いわく、「いいもの作って何が悪い。良い製品を安く売ってやっているのに、恨まれるのは心外だ。日本を恨む前に自分たちももっと努力して、安くて良い品を作るようにすべきではないか」。
この言い分は、努力する奴が正義で、努力しない奴は悪だと言っているに等しい。確かに、努力や勤勉は美徳であろう。しかし、世の中、常に相手がおり、相手には、彼らなりのやり方と言い分があるのだ。
彼らもまじめに働くが、日本人のように馬車馬のようには働かないし、あくまでも彼らの流儀とペースでやる。日本人が彼らのようにはなれないのと同様に、彼らも日本人には変身できないのだ。我々はそれを理解し(度量を広く持ち)、努力主義は、日本の外に出たら、必ずしも善でも正義でもないことを理解して、自分も儲かり、相手も困らないという中間を見つけなければならない。
物事には、すべて「適度」というポイントがある―と、まぁ、偉そうに我が同胞に説教をたれてみたとして、では、そういうお前はどうなんだと質問が来そうだから、早めにお答えしよう。実は、ここ現地会社に赴任当初、日本流に努力主義を社員に強いたこともあったが、現地社員たちからは、敵意に近い冷たい反応しか返ってこなかった。
第一、ガンバリズムは、彼らの流儀に根本から合わない。他人から強制されるのは、死ぬほどいやなのだ。第二に、ボスといえどもジャップに尻を叩かれて追い使われるのはむしょうにハラがたつらしい。そこで、「雇用契約とそれに基づいて作った目標(ターゲット)」を利用することにした(非営業職にもターゲットは設定できる)。
既に同意して入社したのだから雇用契約には違反できないのだと、機会あるごとに、これらの二点を繰り返して彼らに宣言し、強要する作戦だ。これはうまくいった。頑張るも、頑張らないのも、自分次第という、自分の流儀とペースでやれる点がお気に召したらしい。なんせ、お気に召さない場合は辞めればいいんだから。
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